サイト10周年記念SS ユウリ編
ふと、感じる。
自分が今、ここにこうしていることを。
大学の図書館で資料の本を目の前に広げて、ペンのプラスチックの感触を唇に感じたとき。
冬の日、いつもお昼を仲間ととる店のコーヒーカップを両手で包み込むとき。
夕暮れに見上げた空が暮れていく光と闇。
雲と風で刻々と移り変わるドラマチックな絵画のような鮮やかさで、目を奪われるとき・・・
山の上に何基も並んで立つ三本羽の風車がうなりをたてて羽を回して、その影が迫ってくるとき。
ふと、思う。
「あ、僕、生きてる」
地球はおびただしい人工物で覆われ、僕はいつも電磁波の檻に囲まれて暮らしている。
意識も呼吸も手も足も、やるべきことややらなければならないことや、やりたいことにふりむけられて、ふだんは思う隙も感じる暇もないけれども。
ふとした瞬間に、思ってしまうのだ。
ああ、自分はいま、地上に「生きて」いるのだと。
果たして、ここが自分の属すべき世界なのかどうかはわからない。
ふつうの人間ならば、何の疑いもなく自分の人生を生きていけるだろう。
ほんとうの自分の居場所は、どこ?
意識が深く、静かに、そこに受かって落ちていく。
ほんとうの じぶんが いる ばしょは どこ・・・・・・・・・・・・・・・・・
「ハイ、ユウリ! お待たせ」
「……っ!」
にぎやかな友人たちがやってきて、物思いにふけっていた意識が急に現実の中に引き戻された。
ここはいつも仲間と昼食をとる店。
コーヒーカップを前にぼうっとしていた自分の肩をポンと軽くたたいたのはリズ。
「やあね、どうしたの? ぼうっとしちゃって」
「強く叩きすぎたんじゃないの? ほら、あんたって意外に力持ちだから」
「なぁんですってぇ?」
リズとユマが軽く言いあいながらテーブルを囲んで座る。
仲が良いからこそ遠慮なく言いあえるのだろう。なんだかほほえましい。
「ほら、ユウリがそうやってにこにこしているから、ユマが図に乗るのよ」
「か弱い乙女の手ですもの。蚊がとまったほどにも感じないわよ」
ほほほと笑いながら軽くいなすユマも、緑の瞳をキラキラさせながら遠慮ない言葉を繰り出すリズも、なんて生き生きとしているのだろう。
みんな、とても華やかなオーラを持つ人たちだ。自分に自信をもち、人生を謳歌している。
勢いのある前向きな会話を聞いているだけでも、温かな波動が寄せてくる気がする。
「あ、オニール」
「やあ、君たち、元気だねえ」
遅れてやってきたオニールは、深いため息をついて、どさっと力なく椅子に座り込んだ。
かと思えば、くわっと目を見開き、ドラマチックに頭をかきむしる。
「僕はもうおしまいだよ。今期の単位は落としたも同然。なんというミスを、僕はしでかしてしまったのだ~~~!」
「え、何?」
「いったい、何をしでかしたのよ!?」
女性陣が顔色を変えて詳しく問いただした。
すると、どんな悲劇かと思いきや、ただ単に、大学の試験でちょっとしたミスをしてしまっただけらしい。
理由を聞いて、脱力した。
ほっとして、ほほえみが湧いてきた。
いいな。こういうの。
お騒がせかもしれないけど。
でも・・・なんだか。
友人たちと別れるとき、「またね」と、軽く手を振った。
言葉に、ほんのちょっとだけ、願いを込めてみた。
大都会の真ん中にある大学の敷地には、乾いた風が吹いている。
慌ただしく流れる時間と人々の流れに呑み込まれないよう、世の中から半身離れるようにして歩く。
友人たちと離れて一人でぼんやり歩いていると、意識がだんだんと薄れていく。
どこを歩いているのか・・・いや、わかっている。現実感がないだけで。
地面を踏む足の感覚が薄れてきて、静かになって、僕の意識は風景に溶け込んでいく。
あれ?
カバンが震えている。
マナーモードにしておいた携帯電話のバイブレーションだ。
携帯の画面に表示された名前は―――シモン!
心臓がどきりとなった。
「やあ、ユウリ。今、話しても?」
柔らかい声が耳に届いたとき、耳の奥で何かが、ぱちんとはじけた。
「―――っ!」
息をのむ。
肌が粟立つ。
なんだろう、この感じ。
今、世界が生まれたみたいな―――
「ユウリ?」
電話の向こうで戸惑うようなシモンの声。
甘く優しい響きが耳から全身へと伝わっていく。
シモンはたぶん、知らないと思う。
シモンの呼ぶ声が、僕をこの地上へ引き戻していることを。
引き留めておいてくれる錨になっていることを。
「やあ、シモン」
「どうかしたかい?」
「ううん」
耳がくすぐったい。
声を聞くと、もうそれだけで、ほっとする。
僕は、ここにいる。