お題 「シリトーがオスカーと チェスをする」

 
 
 
夕方のヴィクトリア寮談話室。
オスカーは足元にころんと転がってきたものに気づいて、拾おうとして長身をかがめた。
そこへ、焦ったような声がかぶさった。
 
「うわっ!」
 
かがんだオスカーの背中にかぶさるようにして、勢いよくぶつかってきた人物は、
とっさに身を起こしたオスカーに跳ね返されて、しりもちをついてしまった。
 
「いてて………」
 
おしりを床から浮かして押さえ、情けなさそうにうめいていたのは、アーチボルト・シリトーだった。
 
「………お前かよ」
 
不機嫌そうな声がもれてしまった。とっさのことだったので、感情がそのまま表れてしまったらしい。
 
「はは………これはこれは天下の副寮長殿。失礼しました」
 
ぶつかった相手がオスカーだと知ると、シリトーはぴょこんと飛び上がって謝罪した。
 
「気をつけろ」
 
(何が「副寮長殿」だよ、そんな役職あっか! おべんちゃらめ)
そう思って少しむかついたが、不機嫌さを表に出してはまずいと思い、簡潔に注意をした。手にしたものを軽く投げ上げてつかみ、身をひるがえそうとすると、シリトーがあっと目を見開いた。
 
「あっ、それ!」
 
「ん?」
 
「それ、僕が落としたものなんです!」
 
そういわれて、オスカーは何気なく拾ったものを初めてよく見てみた。
チェスの駒だった。手のひらにすっぽりと収まるくらいの大きさの、白のポーン。
 
「盗りやしないよ」
 
不機嫌そうな顔のまま告げて、両手を差し出しているシリトーの手の中に駒を返す。
 
「ありがとうございます! これ、父の形見の家宝なんです。見つかってよかった!」
 
「そんな大切なものなら、大事にしまっとけ。………って、お前の親父は生きているんじゃないのか!?」
 
「ええ、国際弁護士として活躍中ですよ。」
 
にこにこと答えるシリトーの笑顔にどっと疲れが押し寄せるが、どうしても突っ込まずにはいられない。
 
「だったら『形見』とは言わないだろうが! もういちど一般常識をやりなおせ!」
 
「やだなあ、軽いジョークじゃないですか。目くじら立てないでくださいよ」
 
またまた、にこにこと答えるシリトーだが、確信犯めいた雰囲気を感じるのは気のせいだろうか?
 
「友だちにチェスを教えるつもりで、父が買ってくれた駒を持ってきたんです」
 
「へえ? てことは、けっこう打てるのか?」
 
「ええまあ、そこそこは……」
 
そこそこと言いつつ、えらく得意そうに見えるのは気のせいじゃなさそうだ。
オスカーは、立ち去りかけて半身になっていた体を戻し、シリトーに向き合った。気まぐれな思い付きが浮かんだのだ。
 
「なあ、どうだ。一局、打ってみないか?」
 
「へっ?」
 
 
 
 
 
 
「へえ、シリトー、なかなかやるね」
 
「上級生相手に……」
 
「あ、今の手、すごい!」
 
ヴィクトリア寮の談話室の一角では、チェス盤に向かい合うオスカーとシリトーを囲む人垣ができていた。
下級生たちは、もちろんシリトーの背後に回って応援をしている。
 
「がんばれ、シリトー!」
 
「いいぞ、ステアマスター!」
 
憧れの上級生相手に一歩も引かないどころか、数歩リードしているシリトーの強さを見て、少し興奮気味だ。
対するオスカーは、同級生たちの容赦ない野次と揶揄を浴びせられていた。
 
「おいおいおい、その手はないんじゃない? ありえないって!」
 
「どけよ、俺が代わってやる」
 
「負けたら夜の自習監督当番、全部やってもらうからな〜」
 
「うるさい! 勝手に口出しすんな! 気が散るじゃないか」
 
眉間にしわをよせたオスカーがどなっても、下級四年生たちは全くひるむことはない。それどころか勝手に賭けを始めてしまった。
 
「オスカーの負けに、チョコバー一本」
 
「よぉし、俺は、オスカーの負けにポテチ一袋!」
 
すると、三年生たちも負けじと賭けを張る。
 
「じゃあ、僕はシリトーの勝ちにジュースを一本!」
 
それじゃ賭けにならないじゃないかと上級生も下級生もいっしょにげらげら笑って場が盛り上がっていると、涼しげな声が割って入った。
 
「オスカーの勝ちに、カフェテリアのコーヒーを一杯」
 
盛り上がっていた場が、ぴきんと音を立てて凍りついた。
いつの間にか、寮長セイヤーズがそばに立っていたのだ。
急にしんと静まり返った一同を、眼鏡ごしにちらりと見回したセイヤーズは、少し居心地悪そうに眼鏡を押し上げ、軽く肩をすくめた。
 
「どうぞ。続けて」
 
 
 
オスカーは、思わぬ展開に焦りを感じ始めていた。
(こいつ、上手い…!)
シリトーは、時々「あひゃあ」「ぬおおお」「おおっと」などと意味不明な奇声をあげつつ、勝負にくらいついてくる。
というよりも、オスカーが打つ手に、臨機応変に思わぬ展開で応えてくるので、次を読むのが大変だったりする。
軽く相手をしてやろうと思ったから、不利だといわれる後手を選んだのだが、こうなると巻き返すのが難しくなってきた。
 
「なかなかやるな」
 
h4のサクリファイスを防ぎながら、同時にcファイルでルーク交換の準備をしているのに気付いたときには、あまりに見事な手だったので、思わずつぶやいてしまった。
すると、それまで(奇声以外は)黙って打っていたシリトーが盤上の戦いから目を上げて、ふふっと可愛らしくはにかんで笑った。
 
「実はボク、三年生では誰にも負けたことがないんです」
 
「なんだと!? ちょっ、お前、それ反則だろ! ずるいぞ、最初っからそう言えよ!」
 
シリトーは、さらにふふふと笑って答えた。
 
「でもぉ、先輩相手だとどうかと思って……」
 
言いながら、ちらりと上目づかいにオスカーを眺める。
オスカーは己の感情の暴走を繋ぎとめる理性という綱の一本がぶちっと音を立てて千切れるのを感じた。
 
(ぬぁにが「ボク」だ、「でもぉ」だぁっ!)
 
ああ、こんどは綱じゃなくてナイロンザイル製にしようと、残った理性は考えつつ、暴走する感情はとんでもない一言を発してしまった。
 
「賭けをしないか?」
 
「何をですか? チョコバーとかジュースとか、おやつの類なら大歓迎ですよ」
 
よほど勝つ自信があるのだろう。「賭け」という言葉にあっさりと乗ってきたシリトーは、キラリと目をかがやかせて応じる。
オスカーは、無表情に首を横にふった。
 
「違う。もし俺が勝ったら、今後一週間はフォーダムの前に顔を出さないでもらおうか」
 
オスカーの声の中に、今までとは違う真剣な響きを感じて、シリトーの手が止まった。
ちらりを目線をあげて対局相手を見ると、飄々とした不適な雰囲気はいつもの上級生らしいものだ。
今のところ不利な局面だというのに、落ち着いているのもひっかかる。
自分から賭けを持ち出すところからすると、ひょっとしてこの局面から勝つ自信があるのか?
 
思案するシリトーとは反対に、オスカーの発言を聞いた下級四年生の仲間たちは、すばやく反応した。
 
「おいおい、やばくないか〜?」
 
「フォーダムご寵愛争奪戦、ってとこか!」
 
日ごろのオスカーのユウリへの傾倒ぶりを、ここぞとばかりにからかう。話題になっている人物を賭けの対象に選んだ友人のポーカーフェイスを見て、セイヤーズは、眉を寄せた。
シリトーは頭の中のスーパーコンピュータでシミュレートをしていたが、やがて答えを出してニヤリと笑ってみせた。
 
「いいでしょう。その代わりといってはなんですが、もしも僕が勝ったら、今後二週間はフォーダムの前に顔を出さないでください」
 
「二週間?」
 
「ハンデです。僕の方が一学年下なんですから、そのくらいしないとフェアじゃないでしょう?」
 
それを聞いたオスカーは、ニヤリと口角を引き上げた。
 
(ちくしょう・・・駆け引きを心得てやがる)
 
最初にこんな賭けを出した自分の手を、見事に利用した駆け引きだった。学年を引き合いに出されたら上級生として断わるわけには行かない。
 
(よし、じゃあ勝つまでだ)
 
オスカーは頬を引き締め、シリトーを睨みながら頷いた。
 
 
 
 
白熱した盤上の戦いが続く。
二人の対戦をとりかこんでからかっていたオーディエンスたちは、いつの間にか息をひそめて試合運びを見守っていた。
試合の序盤は白の先手であるシリトーが優勢で、その上手さが目立っていた。
しかし、実はオスカーもかなりの腕前であり、シリトーと互角の戦いをしているということがわかってきたのだ。
何かと噂の先輩と会う権利をめぐって、どうやら真剣に勝負をしているらしい二人。
その商品については正直いって「勝手にやってくれ」という感じだが、おやつを賭けた勝負は気になる。
このままでは、セイヤーズの一人勝ちではないか!
席を外していたセイヤーズが戻ってきて、人垣の後ろから盤を覗き込み、ふっと笑みを浮かべた。
それを見た下級四年生の一人が、セイヤーズに耳打ちする。
 
「寮長は、知ってて賭けたのか?」
 
「何を?」
 
「オスカーがチェスが強いってこと」
 
「強いのか?」
 
しらっと問い返したセイヤーズを、相手の生徒はかるく睨みつける。
 
「しらばっくれるなよ。そういや去年は同室だったもんな。当然知っていたわけだ」
 
「いや、オスカーがチェスをやるとは知らなかった。だけど、ああいう性格の奴はゲームが強いだろうなとは思ったよ」
 
相手の生徒は、じっと盤を見て考え込むオスカーを見て、納得したように頷いた。
 
「たしかに、勝負には強そうだ」
 
セイヤーズは、首を横にふって答えた。
 
「負けず嫌いなんだよ」
 
 
 
 
 
オスカーは、冷静に盤上の駒に目を走らせていた。
対局は難しい局面を迎えていた。シリトーは、自分で言うだけあって、なかなかいい手を打つ。
ちらりとシリトーの表情をうかがうと、すでに勝利を確信しているかのような自信満々で高揚した表情だ。
黒にプレッシャーを与え続け、オスカーがこの局面を脱する手が打てずに自滅し、「リザイン(投了)」と言う瞬間を今か今かと待っている―――そんな表情だ。
 
「たしかに、お前はうまいよ」
 
オスカーがぼそりとつぶやくと、シリトーはふうっと溜めていた息をついて応えた。
 
「いえいえそんな・・・と言いたいところですけれど、実はこれ、僕の得意技でして」
 
控えめだが、得意そうに言うシリトーに、オスカーは軽く応じる。
 
「なるほどね。得意技で勝とうってか。百年早いんだよ」
 
「は?」
 
冷静な表情を変えずに、オスカーは次の手を打つ。
 
「えっ?」
 
シリトーは、オスカーが打った手を唖然として見つめた。シリトーの優勢を崩し、オスカー不利の状況を脱する思わぬ一手だった。
予想もしていなかった手に、シリトーはあわてふためいた。
 
「そ、そんな手がっ!?」
 
シリトーは、盤上に屈みこむようにして局面を覗き込んだ。盤の端々まで目を走らせ、次に打つ手はないかとめまぐるしく考える。
 
「信じられない。あと数手で僕の勝ちだったのに! どうして・・・?」
 
おろおろとつぶやくと、オスカーが落ち着いた声で答えた。
 
「うちの義父は、チェスの学生チャンピオンでね。小さい頃から、よくつきあわされたよ」
 
それを聞いたとたん、シリトーは椅子から飛び上がった。
 
「ずるいですよっ! そんな情報隠してたなんて!」
 
「何とでも言え。お互いさまだろうが」
 
むっとしたシリトーは、必死に次の手を探して打つ。一方、オスカーはその手を予測していたかのように、間をおかずにひょいと打つ。
 
「チェック」
 
「あっ」
 
 あせったシリトーが、必死に打つ。
 
「悪いが、勝たせてもらうぜ」
 
オスカーは、最後にニヤッととびきり人の悪い笑みを浮かべて駒を置いた。シリトーが悲鳴を上げる。
 
「ああ〜〜〜〜っ」
 
「チェック・メイト」
 
 
 
 
その日の夜、ヴィクトリア寮の食堂にて。
食事を取る列に並んでいたシリトーは、黒髪のほっそりとした姿が入り口に現れると、手にしていたトレイをぴょんっと放り投げて飛びついていった。
「フォーダム〜〜〜!!」
いきなりガシッと抱きつかれて、ユウリは後ろによろりとよろけてしまった。
二学年下とはいえ、勢いよくぶつかってこられては、衝撃がすごい。転ばなかっただけ上等といえよう。
いったい何事かと驚いて、シリトーの両肩をつかんで問いただした。
 
「ど、どうしたの?」
 
しかしシリトーは、ユウリにしっかり抱きついたまま泣き続けて何も答えない。周りの注目を一身に集めて、ユウリはあせった。
しかし、心配そうに顔を曇らせ、シリトーの肩をやさしくたたき、なおも声をかける。
 
「理由を聞かせてくれないかな?」
 
そこへ、乱暴な声が割って入った。
 
「おい、約束が違うぞ」
 
「オスカー」
 
オスカーはユウリをちらりと見て「失礼」とことわり、シリトーの腕をわしづかみにして引き離そうとした。
 
「顔を出さないんじゃなかったのかよ?」
 
顔を近づけ、恐ろしい顔で睨みつけたが、シリトーは視線をひょろんとはずして飄々と答える。
 
「僕がフォーダムの前に来たんじゃありません、フォーダムが僕の前に来たんですよ」
 
「……ざけんなよ!」
 
頭にきたオスカーが大声でどなると、シリトーは怯えたように、ユウリに抱きつく。
 
「フォーダム〜〜〜」
 
「え? ええと………?」
 
訳がわからないままシリトーに抱きつかれているユウリは、おろおろとシリトーを抱きとめている。
しかし、オスカーは見た。
見てしまった。
ユウリの肩ごしに、ちらっとオスカーと見るシリトーの得意そうな顔を………!
 
「お、お前っ、それが最初から目的だったんだな!?」
 
今更悟って怒鳴ったところで、後の祭りである。
シリトーにとっては、負けてもユウリに泣きつける理由ができるだけのことだったのだ。
そして、勝てばオスカーを遠ざける理由もできて、どっちに転んでも損することがないというわけだった。
 
(なんて奴!)
 
肩を怒らせてこぶしをわなわなと振るわせるオスカーの肩を、落ち着かせようとでもいうようにポンポンと叩く者がいる。
 
「うるさいっ!」
 
怒鳴りながら振り返ったオスカーは、そこにセイヤーズの姿を見てますます腹を立てる。
 
「お前はいいよな! 賭けも総取りで!」
 
ところが、セイヤーズは怒鳴られたことなど全く意に介さず、険しい表情のまま首を横にふる。
 
「バカ。周りをよく見てみろ。」
 
はっとして、オスカーは食堂を見回した。今や食堂にいる生徒たちのほとんどの目がこちらを注目している。
 
(しまった………)
 
頭に上がっていた血が一気に下がる思いがしたオスカーだったが、戸口に黙って立つ人物を認めたとたん、瞬間冷凍で全身の血をザザッと凍らせた。
 
シモン・ド・ベルジュ!
 
軽く腕を組み、落ち着いた様子ですっくと立ってはいるけれども、表情を消した顔が恐ろしい。怒りを顕わにしていないだけに、余計に怖い。
 
(こ、これは相当怒っている。やばいっ!)
 
回れ右してすぐに逃げたい気分だったが、今や食堂にいる全員の視線がピンポイントでここに集まっている。
逃げる隙はとてもない。シリトーも同様で、ユウリに抱きついたままピキンと固まって、逃げそびれた模様である。
 
シモンは組んでいた腕をはずすと、ゆっくりと腰に当てた。
 
「それで」
 
何を言われるのかと関係者一同がおびえる中、発せられた声は今まで誰も聞いたことがないほど厳しく冷ややかなものだった。
 
「何があったか、聞かせてもらえるかな?」
 
 
 
 
 
オスカーとシリトーが、騒ぎの罰としてヴィクトリア寮新館への出入りを改めて禁止されたのは、言うまでもない。
 
 
 
  *   *   *   *   *   *   *   *
 
 
読んでくださってありがとうございました&すみません!
 
これは、2008年5月の英国合宿の際に行われた「2W1H」ゲームでわたしが引き当てたカードをお題にして書いたものです。
 
お題は「シリトーが」「オスカーと」「チェスをする」でした。
まあ、この二人がチェスをするとしたら、賭けるのはアレでしょうねと、9割の人が思いつくような話になりました。
なお、チェスに関してはド素人なので、よくわかる方はどうぞ笑ってやってください。
オスカーのお義父さんが学生チェスのチャンピオンだとか、シリトーがチェスが強いとかなんとか、すべて原作には出てこない、ここだけのマイ設定ですので、どうぞよろしくお願いいたします。(森荏)
 
 
  

 

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