a Summer's day より
―――君を 夏の日にたとえようか
いや 君の方がずっと美しく おだやかだ
緑の木漏れ日の下で
口ずさむ 美しく切ない詩
思い出す あの夏の日――――
誰もがうらやむような恵まれた人生。
しかし彼は人生を楽しめないでいた。
「無理というか、不満というか……」
珍しく口ごもりながら言うシモンを、パスカルとウラジーミルは真剣な面持ちになって見つめた。
「つまらないんだ。このごろ、何も欲しいものがなくて」
二人はそろって肩を落とした。どんな悩みかと思いきや、なんという贅沢な悩みだろうか。
「そんな、若い身空で何言っているのさ!」
少しあきれて、パスカルが叫ぶ。
「家柄、財力、若さ、才能、女性、将来安泰、順風満帆、つまり言うことなしの人生。それを『つまらない』とはね!
まあ、平和と富裕に溺れた者だけが言える台詞ではあるな」
かなり辛らつなウラジーミルの言葉に、シモンはむっとした顔になる。
「家も財産も、僕の手柄じゃない。」
シモンは短いためいきをつくと、手をひるがえして言った。
「わかっているよ。こんなに恵まれた身でありながら不平をもらすのは傲慢だと言うんだろう? 承知しているさ」
はき捨てるように言ったシモンに、パスカルは驚きを隠せなかった。
「どうしたんだい? 本当におかしいよ。なんだか荒れていないか?」
本気で心配するように身を乗り出してきたパスカルを見て、シモンは安心させるように、かぶりをふって答えた。
「すまない。つい愚痴をもらしてしまった。聞き流してくれてかまわないよ。いや、忘れて欲しい」
忘れろと言われても無理な相談だった。
しかし、シモンがこの話題にはもう触れてほしくないと思っていることは二人にも理解できた。
万事に恵まれた貴公子には、パスカルには計り知れない次元の悩みがあるようだった。
ウラジーミルが、となりに座るパスカルにしか聞こえないくらいの小さな声でつぶやいた。
「『肉は哀し、すべての書は読まれたり』、か」
マラルメの詩を引用した友人に、パスカルはちらりと視線を向けた。
英国に行くことになったシモンに、アンリからの予言
「アンリ?」
いぶかしげにシモンが問うと、アンリはゆっくりと兄に視線を戻し、神妙な顔で告げた。
「一角獣に、会うよ」
「え?」
「兄さんは、英国で一角獣に出会う。―――運命の人が、待っている」
英国で待ち受けていたのは、頑固な使用人たちと荒廃した村
美しい令嬢、そして庭を造る少年だった
「ありがとう。助かったよ」
笑いかけるシモンの顔を見た少年は目を丸く見開き、口をぽかんとあけて見つめ返した。
シモンも、少年の姿を改めて見て驚いた。
真っ黒な髪に、黒い瞳。肌は象牙のようにしっとりとした不思議な色合い。
その瞳に、目を吸い寄せられてしまった。瑞々しく、黒水晶のように澄みきって美しい瞳。
まるで深い森の奥にある泉を覗きこむようだ。
どのくらい深いのだろうと覗き込むと、水底の深遠な世界にひきこまれそうな気がして、くらりとめまいがするような…………。
シモンは、ふと陥りそうになった幻をふるい落とすかのように、首を振った。
「君は……東洋人か?」
次第に心を惹かれていくシモン
ヒューが何か面白いことをいったのだろうか、ユウリが手を打って笑い出した。
ヒューは、そんなユウリの肩に手を回し、肩を抱いて笑いながら殴る真似をした。
そんな様子を見ていたフォーダム氏は、微笑を深くした。
「やれやれ、二人とも子どもだな」
氏はちらりとシモンを見て、それからもう一度息子たちに目を戻した。
「あのヒューという青年もいい青年だ。ユウリを本当に大事にしてくれているよ」
シモンは何気ない振りを装って、窓から離れた。
胸がざわざわして、もうこれ以上、仲の良いふたりの姿を見るのは耐えられなかった。
(よそ者なのか、自分は。この土地にも、ユウリにとっても)
改めて問うまでもなかった。ユウリにとって、自分は知り合ったばかりの隣人にすぎない。
同じ学校で長い間いっしょに学んできた友人とは比べ物にならないほど遠い存在なのだ。
(これ以上、ユウリに歩み寄ることはできないのだろうか――――?)
練炭のように熱く黒々と燃える炎が、身を焼くようだった。
シモンはフォーダム氏に背中をみせ、冷めたお茶をゆっくりと飲み干した。
なめらかな液体が喉をうるおし、体の中にするりと冷たいものが忍び込む。
しかし、それは熱を冷ますどころか、体の熱さをよけい意識させるものだった。
(別に、気にしなければいい。そもそも自分が英国に来た目的は何だ? そうとも。考えるべきことは他にある)
怪しい男の出現が、二人の距離を縮める
挑発的な言葉を捨て置くことができず、追いかけようとするシモンの腕を掴み、前に出て通れないようユウリは腕を広げた。
「だめ! 追わないで!」
シモンはかっとなった。
(あんな男をかばおうというのか。あんな得体の知れない男に夜中に呼び出されて、危うく連れて行かれそうになったなんて、冗談じゃない!)
これほどの怒りを感じたのは久しぶりだった。目の前で起こった出来事なのに、とても信じられない。
アシュレイを追うよりも、目の前でシモンを引きとめようとしているユウリへの激しい思いが身を焼いた。
叫び出したくなるほど強い感情が身を焼いた。怒りを抑えるのに、全身の力をふりしぼった。
「君は、アシュレイに、何を脅されているんだい?」
厳しい声で問われて凍りつくユウリ。
「答えて」
命令調で言っても、ユウリは口を開かなかった。ゆっくりと、しかし、きっぱりと首を横にふった。
自分の心なのに、制御できない
それが精一杯だった。
ユウリはこくっと息を飲んだ。目を大きく見開いたまま動けないでいる。
その姿が愛おしくてたまらなくなり、シモンは困ったような笑みを浮かべた。
「ごめん。失礼なことをした」
もう限界だった。
ユウリの顔を見ないまま、会釈だけして東屋を駆け出す。
「シモン!」
Shall I compare thee to a Summer's day?
「それ、ヒューも言ってた」
「……そう?」
「シモンが言うと、なんだか、口説かれているみたい」
口元に幸せそうな微笑をふっと浮かべるユウリ。
シモンの脳裏に、あの日の情景が浮かんだ。
フォーダム家の庭でベンチに座り、劇のような大げさな身振りで詩を朗読していたヒューの姿。
ヒューはこの詩にユウリへの思いを託していた―――意識的にか、あるいは無意識的にかはわからないけれども。
「『荒々しい風は五月のいじらしい蕾をいじめるし、なによりも夏はあまりにもあっけなく去っていく』」
腕枕にユウリの頭を乗せて、もう片方の手で髪をすく。心地良さそうに目を閉じているユウリ。
さきほどまで触れていた唇がぽってりと赤く見えて、シモンはこっそり苦笑した。
「『時に天なる瞳はあまりに暑く輝き、かと思うとその黄金のかんばせはしばしば曇る』」
「久しぶりね、エドモンド」
「ミス・セイラ! ご無沙汰しています」
オスカーは今までの不敵な態度を一転させ、うやうやしく頭を垂れた。
セイヤーズは、突然現われた美女に驚いて眼を丸くしている。
何かを危惧する姉の思い
「ミス・フォーダム?」
「落ち込むあの子を見たくないの。馬鹿な姉のわがままよ。ごめんなさいね」
やがて、鐘がならされ、「その時」が迫る。
二人に立ちはだかるものは―――!?