「ちいさな奇跡」  試し読み

 

セント・ラファエロでの新学期が始まった。
 夏季休暇前に三人の生徒が行方不明になり、一人は満身創痍で帰還したが、一人はほぼ正気を失って見つかり、さらに事件の首謀者が死体で見つかるという事件は、セント・ラファエロを大きく揺るがす大事件だった。
 そして、行方不明のうちの一人、ユウリ・フォーダムの行方は事件から二ヶ月たっても杳として知れない。
校内に重くのしかかるような空気をもたらした事件は、新年度が始まった今でも解決していないが、寮の空気はずっと軽くなったとシリトーは感じた。新入生たちが入ってきたことで、よどんだ空気が少し動き始めたようだ。真新しい制服に身を包み、物慣れない様子であたりを伺っている新入生の姿を見ると、急に自分が年をとったような気分になった。
 
 夕方、ごったがえす寮の食堂。
食事のトレーを手に並ぶ上級生たちの間に、新入生が割って入ろうとし、鋭く注意される場面があった。上級生が間を開けて立っていたので、それと知らずに入り込んでしまったらしい。
叱られて身を小さくする新入生の姿を見て、シリトーはにやにやした。
「か〜っ、若いなあ」
「おいおい、オヤジくさいぞ」
ほんの数年前には自分たちも同じように物慣れない様子だったことを棚に上げてつぶやくと、となりに並んでいた同級生に笑われる。
すると、にやにや笑いを見咎めた上級生から叱咤の声が飛んだ。
「シリトー! ああいう輩を注意するのは寮長の仕事だぞ」
シリトーは「はいっ」と元気よく返事して立ち上がった。机に手をついて下を見たときに、ちょっぴり舌を出す。同級生はそれを見て笑いをかみ殺した。
新入生たちに向かって足を踏み出したとき、シリトーの目の前を背の高い生徒が横切った。
「おっと」
 ぶつかりそうになり、慌てて身を引いたシリトーは、誰かと思って目を上げ、息を飲んだ。
エドモンド・オスカーだった。
寮の中でもわりと親しい先輩なのだが、息を飲んでしまったのは、雰囲気が大きく変わってしまったからだ。                        
夏の間に顔のラインがシャープになり、ぐんと大人びた。怪我の傷跡は残っていないが、心に負ったであろう傷が、今も彼を苦しめ続けているのは明らかだった。
オスカーはシリトーの姿など見えてもいない様子で、むっつり口をつぐんだまま通り過ぎた。
その後から、こちらは以前とまるで変わらぬ落ち着いた様子のセイヤーズが続く。シリトーが会釈をすると、こちらを向いて軽く会釈を返した。最上級生として、今期からの総長として、堂々たる態度だった。 
誰にも聞こえないくらいの小さな声で、シリトーはつぶやいた。
「ふーん………なるほどね」
 
 夜の自習時間。
ヴィクトリア寮旧館の最上階、寮長の部屋には監督生たちの姿があった。それぞれの手にはポテトチップスの袋やチョコレートバーなどが握られ、お菓子を食べながら気楽な夜のひとときを満喫しているようだった。
その中の一人が、突然、お菓子をテーブルの上に投げ出して嘆いた。
「あーあ、なんだかいまいち盛り上がらないなあ。四年になって監督生にでもなりゃ、ちょっとは気合が入るかと思ったのにさあ」
 テーブルの向かい側に座った生徒も、それに同意して頷く。
「だよね。卒業した、あの最上級生たちの姿がないって、なんともわびしいというか、寂しいといおうか………」
 一人がソファの背にどさっともたれて天を仰ぐ。
「ベルジュのいない学校なんて、塩がかかっていないポテトみたいだ!」
「ピ○チュウのいないポケモンのようだ!」
「ベルジュはピカ○ュウかよ」
 すかさず突っ込んだ台詞にどっと笑いが起こった。
 シリトーは落ち着いてコーヒーをすすった。
去年までの監督生たちのレベルからすれば、かなり低レベルなのだろうという気はするが、寮長ともなれば、こうした監督生たちの声を聞くのも役目のうちである。何気ない会話の中に、どんな情報やヒントが見つかるかしれないのだ。へたに突っ込まず、言いたいことを言わせておくに限る。
「それよりもフォーダムだよ。いなくなってはじめてわかる、フォーダムの癒しの力のありがたさ! 
あの人には、みんな安心して悩みを打ち明けられたからな〜」
「そうだな」
「フォーダムがいてくれたら………」
 話題がユウリのことになると、場の空気が湿って重くなる。
 それを打ち払うかのように、一人が口を開いた。
「そういえば、下級生からこんな話をきいたんだが、知っているか?」
「何?」
「階代表の子が、夜中に廊下を歩くフォーダムを見たっていうんだ」
 シリトーの耳がぴくっと動いた。
「え、それフォーダムなのか? 俺はただの人影って聞いたけど」
「後姿しかわからないけど、黒髪で、話しかけようとしたら消えてしまったそうだよ」
「ガセだろ? 悪趣味なうわさ話だ」
 一人が良識をとがめるように眉をひそめて言うと、言われた方はむきになって言い返した。
「だけどさ、そんな不真面目な奴じゃないんだよ」
「真面目な奴だって幽霊くらい見るさ」
「フォーダムも、不思議な雰囲気のある人だったから……」
「幽霊になって戻ってくるなんてことも、ありそう」
 シリトーは話を聞きながら「ふーん」と、思案しはじめた。
 この手の噂話というか怪談は、英国の学校や寮にはつきものである。しかし、他の場合とは理由が違う。
「後姿しか見てないのに、どうしてフォーダムって特定できるんだ?」
「う〜ん、フォーダムに帰ってきて欲しいという願望が見せた幻じゃないの?」
 誰かがそこまで言ったところで、シリトーは動いた。
「はい、そこまで〜〜!」
 会話するメンバーの中に、おどけた調子で片手を突き出し、ストップさせる。監督生たちの目が一斉にシリトーに集まった。シリトーは「こほん」と咳払いしてから、軽い調子で言った。
「覚えてるかな? 以前、ヒュー・アダムスが生き返ったとか幽霊が出るとか噂になったこと。その線でいくと、フォーダムも死人扱いされちゃわないかい?」
「あっ………!」
 シリトーの言葉は、軽い気持ちでうわさ話に花を咲かせていた監督生たちをさっと現実に引き戻した。明らかに「まずい」という顔で黙り込んでしまった監督生たちに、シリトーはあっけらかんと告げた。
「だからさ、余計な噂は広めないように、下級生にしっかりと釘をさしておこう。さもないと、幽霊よりももっと怖い人に叱られるよ?」
「幽霊より怖い人?」
「そう。某E.O氏とか」
「ああ………」
 不機嫌オーラを出している上級生の姿を思い浮かべ、一同が納得した。確かに、不用意に噂を広めたりしたら、彼は誰よりも怒るに違いない。不謹慎な噂は慎むべきだった。
「というわけで、僕らもへたな噂は無視、無視!」
 明るく言ってのけたシリトーの横から、控えめな声がかけられた。
「だけどさ、シリトーはもう一度会いたいとは思わないの?」
 シリトーは少し驚いた顔になり、腰に両手を当てて発言した監督生を見下ろした。相手は、口ごもりながら言い訳を始めた。                          
「いや……だって、押しかけファグをやっていたくらいだからさ。………会いたいんじゃないかと思って」
 シリトーは、まじめな顔で腕を組み、思案した。
「会いたいか会いたくないかと問われれば、僕が会いたいのは生身のフォーダムであって、ゾンビではないと答えざるを得ないですね。たとえゾンビであってもあの人は変わらず優しいんじゃないかと思うけど、流石にゾンビに『フォーダ〜ム』って抱きつくのは遠慮したいし、いや、むしろ絶対に嫌だし、考えただけでもぞっとする! けれど………いや、それでもフォーダムだから我慢できるか? いやいや、うーん………愛を試されるような質問だなあ。でもまあ、とにかく」
 シリトーは顔の前に指を一本立てて宣言した。
「幽霊の噂は根絶!」
 
 
「―――とは言ったけど」
 小さくつぶやき、シリトーはパジャマの上に羽織ったカーディガンの袖をまくり上げた。
 ポケットに携帯を突っ込み、手には懐中電灯を持ち、寮の部屋のドアをそっと開けて顔だけ出し、廊下に人影がないことを確かめてから部屋を出た。音を立てないように、ゆっくりとドアを閉めた。
 真夜中の寮の廊下は、しんと静まり返っている。どこかで機械のモーター音のようなものがごく小さな音を立てているくらいで、生徒たちは寝静まっているらしく、シリトーが歩く足音だけがパタパタと響いていた。
手にした懐中電灯で床や壁を照らしながら、廊下を進み、階段を下りる。
「まさかねえ、本当にいるなんて、露ほども信じちゃいませんが」
 誰かに言い訳するかのように、自分にも聞こえないくらいの小さな声で独白する。
「これが他の奴らだったら絶対にこんなことしませんよ。ええ、しませんともさ。寝ています。貴重な睡眠時間を削ってまで確かめずにはいられないなんてことは、他ならぬあなただからですよ、フォーダム」

 

  *  *  *  *  *

といった感じで、シリトー、オスカー、セイヤーズのお話が続きます(^_^)

 

 

 

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