冬コミスペシャルSS   
◇ 寒さ対策はしっかりと! ◇
(十年後位のパラレルということでよろしくお願いします!)
 
「100度F!」
電子体温計の表示を見たウラジーミルが、はき捨てるように数値を告げる。呆れたような、少し怒ったような口調だ。
(・・・やれやれ、どんな皮肉を言われるのやら)
パスカルはソファにぐったりと身を任せ、天井を見て、諦念をたっぷり含んだため息をついた。
 
時は大晦日。
ここウィーンでは、毎年大晦日に市内のいたるところで新年を迎えるお祭りが繰り広げられる。
通りにはさまざまな屋台が出て客を呼び、広場には特設会場が設けられてバンドがにぎやかな音楽を演奏する。
音楽の都と呼ばれるだけあって、中にはクラシック音楽を演奏する団体もあった。
まるで、ウィーンの旧市街地がまるごと大きな祭り会場になってしまったようである。
そんな楽しく心浮き立つような雰囲気を味わおうと、この日にはヨーロッパ中から旅行者が集まってくる。
共にベルジュ・グループで働く同僚であるジャック・パスカルとイワン・ウラジーミルは、年末に休みをとってオーストリアの首都ウィーンを訪れていた。
しかし・・・・・・
「列車に乗る前から、おかしいと思ったんだ。あのときにもっと追求しておくんだったな」
苦々しげなウラジーミルの声。パスカルは肩をすくめた。
「ごめん、体調管理がなってなくて」
「全くだ」
冷たい言い方には慣れているが、こんなときにはずきりとくる。パスカルは胸の痛みをやりすごそうと、目を閉じた。
小旅行のための休みを捻出するために、少し無理をして仕事をしてしまったせいか、
パリからウィーンまでの列車は二人とも寝倒してしまった。
ウラジーミルは睡眠不足が解消されてすっきりしたようだが、パスカルは体調が悪化してしまった。
旧市街にあるホテルに着いたとたん、悪寒と頭痛を覚えてソファに座り込んでしまったパスカルを見て、
ウラジーミルはすぐに熱を測った。
結果は華氏100度(摂氏37.7度)。
熱が上がりかけているようだった。
 
「外出は禁止だ」
「え?」
パスカルが目を開けると、ウラジーミルは体温計をしまうところだった。
「当然だろう? 外はかなり冷え込んでいる。医者に往診してもらおう」
パスカルはかぶりをふった。
「大丈夫だよ。少し休めば治る。夜まで寝れば回復するよ」
「ほう、数学者というのはすごいな。数値の付くものなら自分の体温まで管理できるとは」
「・・・違うよ。熱が下がったらいいなという希望的観測」
ちょっと、むっとした。
ウラジーミルの皮肉な口調にはすっかり慣れてしまったけれど、具合の悪いときに聞くと、言葉の角が心の柔らかなところにぐさぐさと突き刺さる気がした。
だから、返す言葉もついきつくなってしまった。
ウラジーミルは眉根をぎゅっと寄せた。見るからに不機嫌そうだ。
「この状態で外出するつもりか? 夜になったらもっと気温が下がるんだぞ?」
「だって、せっかくここまで来たのに、ちっとも街を歩けないなんて、つまらないじゃないか」
「風邪をこじらせたあげく2本の足で立って帰れない状況になっても同じことが言えるか?」
「・・・わかったよ! 僕は大人しく寝ていることにする。君は一人でカウントダウンをしに行けばいい!」
熱のせいか、イライラしている。
さすがに、ここまで言ったら怒らせてしまうだろうか。
(でも、いいや。謝らない―――!)
開き直っていたら、ウラジーミルは神妙な顔つきで覗きこんできた。
「何日、徹夜した?」
(―――!)
虚をつかれた。
徹夜続きで睡眠時間を削りながら仕事を終わらせたこと、どうして知っているのだろう?
正直に言っていいのかどうか、ためらいながら白状した。
「・・・・・・・・・・5日・・・・」
「俺は3日。・・・・全く、バカだな。二人とも」
ウラジーミルがふっと笑うと、二人の間にあった重い空気がふわりと軽くなったようだ。
そうか、ウラジーミルも徹夜続きだったんだ。仕事を終わらせて休暇を捻出するために。
(それって、楽しみにしていたってこと?)
ウラジーミルは立ち上がった。
「なんとかやってみるか。買出しに行ってくる」
 
 
温かくしてベッドに寝ていたパスカルは、額に触れるウラジーミルの手で目を覚ました。
「・・・今、何時?」
「午後4時。具合は? 喉渇いてないか?」
「うん・・・水を飲みたい」
ペットボトルのキャップを外して、ウラジーミルはパスカルの顔の前に寄せた。
先ほど往診してくれた医者の見立ては風邪の初期症状で、薬も処方してくれた。
水を飲んでいる間、ウラジーミルは体温計をパスカルの腋の下にはさんでしまう。
熱は、先ほどよりも上がっていた。
パスカルも、まだ頭がぼうっとしているのを感じていた。
「やっぱり無理かな・・・」
弱々しい感情が声にも移ってしまったようだ。
「熱が上がるのはウイルスを殺すには有効だろう。これでいいと思う。まだ時間はある。寝ていたらどうだ?」
「うん。そうさせてもらう」
パスカルはベッドに横になった。
頭は熱を持って重かったけれど、眠気はさめていたので部屋の様子を眺めることにした。
部屋は明るく、温かい。
二重の窓ガラスのむこうはうす暗く、街灯の明かりがちらりと見えた。
テレビは古い映画らしいものを映していた。
音はごく低くしぼってあり、つぶやくようだ。
画面では100年以上昔のドレスを着た美人女優が、軍服を着た男と話をしている。
ウラジーミルはソファに腰掛けて、テレビをBGM代わりに新聞を読んでいた。
時折、はらりと紙をめくる音がする。
温かいベッドに横たわって、何の心配もなく寝ていられる―――傍らには頼りになる友人がいるから―――あまりの安心感に、身体の芯がほぐれて蕩けるようだった。
「なんか・・・このままでもいいな」
つぶやきを聞きつけたらしいウラジーミルが顔を上げた。
「ん? 何か言ったか?」
「ううん。べつに」
 
 
 
深夜近く、温かいポタージュを胃に流し込み、二人はホテルを出た。
パスカルの熱はだいぶ下がり、気分もかなりすっきりしていた。
パスカルは、だぶだぶの防寒具を着ていた。
ウラジーミルが、早閉まいをするところだった洋品店を無理に開けてもらって買ってきた代物は、南極越冬隊員が着るような代物だ。
「これを着ると大男になった気分がする」
パスカルが苦笑すると、ウラジーミルはにやりとした。
「着ぐるみみたいで、なかなか可愛いぞ」
 
外の気温は下がり、骨まで染み入るようだったが、越冬隊員用の防寒具の威力はすばらしく、パスカルはぬくぬくとして歩くことが出来た。
カウントダウンが盛り上がるという市庁舎を目指して歩き始めた二人だったが、ウラジーミルは途中から「こっちこっち」とパスカルをさし招いた。
「え? この道をまっすぐ行けば市庁舎じゃないの?」
「いや、まだ時間があるから寄り道しよう」
二人の前にトラム(市電)がやってきて止まった。赤と白を基調にスマートな機体だ。
とまどうパスカルを先に押し込むようにして、ウラジーミルはトラムに乗り込んだ。
「どこに行くんだい?」
パスカルは目を丸くした。
「ウィーン観光さ。窓の外を見ていてみろよ」
言われるがままに窓の外に目を向けると、古代ギリシャの神殿が目に飛び込んできた。
手前には見事なアテナ像も見える。
「国会議事堂だ。すぐ次に見えてくる双子の建物は美術史美術館と自然史博物館」
「ああ・・・・なるほど」
パスカルはほほえんだ。
ウラジーミルのしようとしていることが、わかってきた。
「反対側が王宮。新王宮の方。前庭にある大きな騎馬像はオイゲン公。次は・・・」
「シュターツオーパー。オペラ座だね」
説明する言葉を奪って続ける。
ウラジーミルは片方の眉を上げ、「正解」と言った。
 
ウィーン旧市街を取り囲んでいた城壁を取り壊し、その跡地に環状道路を敷いたのは19世紀半ばのこと。
それに合わせるようにして、環状道路沿いに華やかな公共建築物が次々に建てられた。
環状道路を一周するトラムに乗れば、座ったままでハプスブルク家の栄光華やかなりし日々の華麗な建築物を見ることが出来るのである。
パスカルは、電飾に煌めくオペラ座を見ようと、首を伸ばして反対側の窓の外を見た。
椅子の下のクラシックな電熱器は、暑いほどの熱を放っている。
そのうえ分厚い防寒服を着ているのだから、汗をかきそうである。
(なんだか、可笑しくなってきた)
寒空を歩かせまいとする思いやりかもしれないけれど、どこか空回りしていないだろうか。
でも、怒る気にはなれない。
むしろ、不器用な思いやりが、らしくて笑える。
ありがとう、という言葉は飲み込んだ。
代わりに、隣の席に座るウラジーミルの方に重心を寄せ、肩に頭をこつんと倒した。
ウラジーミルはちらっと見たが、やはり何も言わずに視線を戻した。
 
 
市庁舎前広場には屋台が所狭しと立ち並び、色とりどりの防寒服に身を包んだ年齢もさまざまな人々が集っていた。
特設会場では司会者が人々にしきりに話しかけ、笑い声を誘っている。
ライトアップされた市庁舎は、内側から金色に光輝くようだった。
間の前一面に広がる光の壁。
繊細なゴシック様式の尖塔アーチが並ぶファサードは、教会の身廊のように見え、おごそかな佇まいである。
パスカルは息を飲んで見上げ、足を止めた。
「約百メートル」
「巨大ウェディング・ケーキ」
二人揃って同時に感想を洩らす。
「惜しいな。98メートルの塔、プラス天辺の像は6メートル」
と、皮肉っぽい笑みを浮かべたウラジーミル。
「君の辞書にもウェディング・ケーキなんて単語があったんだ!」
と、噴き出すパスカル。
「・・・悪いか」
どこかすねたように唇をゆがめ、そっぽをむいたウラジーミル。
そのとき、周りをよく見ずに談笑しながら歩いていた中年女性たちが、パスカルの腕をドンと押して通り過ぎていった。
ふいのことにパスカルはよろめき、ウラジーミルにぶつかりそうになった。
ウラジーミルは機敏にうごいてパスカルの身体を抱きとめる。
特設ステージでは、司会者がカウントダウンをはじめた。広場に集まった人々も、唱和する。
ウラジーミルの肩に手をついた、パスカルは急に間近になった友人の瞳に驚いた。
色素の薄い瞳に、いつもの、物事を外側から見つめる冷静さと余裕は見られない。
何かに戸惑い、不思議なものに驚いたように口がわずかに開いている。
パスカルもまた、その不思議な表情にはっとさせられ、見つめ返した。
「Drei,zwei,ein,null! Ein gutes neues Jahr!(新年おめでとう)」
司会者と周りの人々が歓声をあげる。
一瞬だけ早く我に帰ったウラジーミルは、パスカルを抱きとめた姿勢のまま、さっと身をかがめて頬にキスをした。
「A Happy new Year!」
照れくさそうな顔に、パスカルはふふっと小さく笑ってキスを返した。
「Bonne Anee ! 今年もよろしく」



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