From this moment on

 

「ふわ・・・んん・・・」
イワン・ウラジーミルは思わずもれそうになった欠伸を、かろうじて口の中でかみ殺すことに成功した。
今、セント・ラファエロ学院の講堂には、大勢の生徒たちが詰め掛けている。
さすがは優秀な生徒が多く集まるというエリート校だけあって、大方の生徒は無駄話などせず、きちんと席におさまっていた。
しかし、最も年若い生徒たちは緊張した面持ちながら、きょろきょろと周りを伺ったり、椅子の上でもじもじと身じろぎしていたりして、何かと落ち着かない様子である。
彼らが緊張しているのも無理はない。
今日はセント・ラファエロの入学式なのだ。
今年からこの学校に入学するのはウラジーミルも同様だったが、彼は周りの人間が落ち着かないでいると逆に落ち着いてしまうタイプの人間だったので、かえって肝が据わってしまった。

壇上では、老齢の理事が先ほどからだらだらと祝辞を述べている。
お定まりの定型祝辞が続いており、あまり聞く価値がありそうだとは思えない。
ウラジーミルは、こっそりと生徒たちを観察し始めた。
まず目を惹いたのは、天使もかくやと思われるほど輝かしい美貌の少年である。
まるで、彼の周りだけスポットライトが当たっているのかと思われるほど、彼の座る空間は周囲から隔絶されていた。
プラチナブロンドの光り輝く髪にふちどられた顔は一寸の隙もなく整っており、水色の瞳は理知的な光をたたえている。
まるで、博物館に納められた彫像が息を吹き返したかのように、少し冷たそうな印象もあった。
(しかし、十分に鑑賞に堪えうる素材だよなあ・・・!)
と、素直に心の中で舌を巻いた。
その他にも、なかなか個性的なメンバーが揃っているようだ。
典型的な英国貴族らしい風貌の少年もいる。くっきりした眉の下には意志の強そうな瞳。
しかし、どこか上から見下ろすような感じもする。
(なんにせよ、プライドが高そうなタイプだ)
ウラジーミルの人間ウォッチングは続く。
同世代にしては、やたらとがっしりした体型の少年も見つけた。
何かスポーツでもやっているのだろうか。
このパブリック・スクールには英国だけではなく、世界中から生徒が集まるそうで、東洋系の顔をした生徒などもいれば、金髪碧眼のゲルマン系らしい生徒も見られる。
(多民族主義を謳う英国らしいな)
そう心の中でつぶやくウラジーミル自身も、あまり英国人らしくない容貌をしていた。
色素の薄い髪と瞳は、あきらかに北の方の出身であることを現している。
祖先にはロシアからの移民がおり、彼の容貌は先祖帰りしたかのようだった。
ウラジーミルは、元々細い目をさらに細めて、壇上の人物を見る。
先ほどから、ずっと話し続けているのだが、まだ終わる気配はないようだ。
「えー、君たちはここで過ごす青春時代の、貴重なひとときを、大切に過ごしてほしい―――」
意識を向けた瞬間、耳に飛び込んできた言葉には呆れてしまった。
「熟年時代のひとときの方が、もっと貴重じゃないのか?」
思わず、ぼそりとつぶやきがもれる。
すると、くすっと、小さな息がおかしそうに弾ける音が隣から聞こえた。
(しまった、声が大きかった?)
はっとして、音のした方を見ると、隣の席に座っていた少年の口元がちょっとだけ緩んでいた。
視線に気づいたのか、その少年もウラジーミルを見返して、ふっとほほえんだ。
真面目で大人しそうな少年だ。
分厚い眼鏡以外にはそれほど目立つ印象がなく、今まであまり気にも留めていなかった。
「めはわるいけど、みみはいいんだよ。」
隣の少年は、息だけでそっとつぶやいた。
どこか発音やイントネーションが変である。舌ったらずな感じがして、ちょっとかわいい。
しかし、妙なことに、見返されたウラジーミルは焦ったように目を逸らしてしまった。
ふっと笑った表情がなんともいえず温かくて、何だか背筋がむずがゆくなった。
(何やってんだ、俺は・・・? 何も言い返せずにそっぽむいちまうだなんて!)
もじもじして、落ち着かない。
そんな自分が、何だか嫌だ。
ウラジーミルはしかめっ面になった。
壇上の理事がいつの間にか話を終えていたことにも気づかずに、視線を前に向け続けていた。
というより、隣の少年から目を逸らし続けていた。

それが、イワン・ウラジーミルがジャック・パスカルを認識した最初の瞬間だった。

 

やがて、学校生活が本格的に始まった。
オリエンテーションや入寮行事などを通して、クラスメイトや同じ寮の生徒の顔を一つ一つ覚えていく。
分厚い眼鏡の少年はパスカルといい、プラチナブロンドの美少年と同じく、フランスから留学してきた生徒だった。
少年は、にこにこしながら
「ジャックではなくて、パスカルとよんでください」
と自己紹介した。
「ぼくは、すうがくしゃパスカルをそんけいしているのです」
同じ寮の同じ部屋の住人になったパスカルは、穏やかな性格でたちまちクラスメイトたちと打ち解けた。見た目にも性格的にもとっつきにつくいウラジーミルとは対照的であった。
パスカルは、まだ英語が少しおぼつかないところはあるが、ほとんどの授業を他の生徒と同じように英語で受講していた。
数学の問題を解くセンスのよさには生徒だけでなく教師も唸ってしまうほどで、自習時間になると、数学を教えてもらいたい生徒はパスカルのところに行くようになった。

そんなある日のこと。
自習室でいつものように勉強を教わりに行った生徒のひとりが、パスカルのノートを見て声を上げた。
「えーっ、パスカル、フランス語でノートを取っているんだ?」
「うん・・・。まだ英語をかくのが、そんなにはやくないんだ」
そう言って、パスカルは恥ずかしそうに首をすくめた。
「そら大変だよな」
「でも、逆にすごくない? 耳で聞いた英語を瞬時にフランス語に直してノートに書けるなんて、同時通訳しているようなもんじゃないの?」
「だよな。すげー!」
クラスメイトたちの賛辞に、パスカルはますます困ったような顔になり、目を伏せた。
ほめられているのに喜ぶでもなく、むしろ恥じているような様子である。
ウラジーミルは口を開いた。
「そんなんで、英国に留学した意味はあるのか?」
言葉が生徒たちの耳に届くやいなや、シュンと空気が凍りついた。パスカルも、驚いたように目を見張っている。
(しまった・・・!)
そんなつもりはなかったのに、今のはいかにもパスカルを責めたみたいに聞こえてしまう。
(―――また、やっちまった・・・)
弁解できずに、唇を噛んだ。
つい一言多いというか、皮肉な口のきき方をして大人から叱られたことは今まで数知れず。
悪い癖だと自覚して制御していたのだが――――
案の定、パスカルの側にいた生徒が声に険をにじませて言った。
「今の言い方は少し思いやりがなくないかい? パスカルはまだ留学したばかりで、英語に慣れていないんだから」
周りの生徒たちも、てんでにうなずく。
「そうだよ」「冷てーな」などと同意の声も上がる。
ウラジーミルは、固い顔をしてすっと立ち上がった。
うつむいて落ち込んでいるかのように見えるパスカルの前まで歩いていき、感情のこもらない声で謝った。
「すまない。言い過ぎた」
パスカルが、はっとしたように顔を上げた。
彼は何か言いたそうに口を開いたけれども、すでにウラジーミルはきびすを返した後だった。
誰かが舌打ちをした。
「冷たい奴だな」


夕方の自由時間。
寮の談話室の片隅のソファに、ウラジーミルは新聞を手にしたままドサッと座り込んだ。
下学年の生徒たちはテレビの方に集まっており、にぎやかなショーに見入っていた。
新聞を手にしているのは、ウラジーミルただ一人である。
うかない顔のまま新聞の見出しをぼんやり眺めていると、隣のソファに座るものがいた。
反射的に目を向け、慌てて目を逸らした。
パスカルだった。
ウラジーミルが、目の端でちらりと様子を伺うと、パスカルは別な新聞を開き、じーっと紙面を見ていたかと思うと、首をかしげた。
上着のポケットから電子辞書を取り出し、すばやく打ち込む。
やがて納得したように二、三度うなずくと、また紙面に目を戻した。
そんな行動を何度か繰り返した後、今度は電子辞書を何度か引いても納得せず、小首をかしげて考えこんでいる。
ウラジーミルはじれったくなってきた。
声をかけようか、かけまいかと、じりじりためらった末、声をかけることにした。
「どの単語?」
パスカルはちらりとウラジーミルを見たが、何も言わずに新聞の見出しの単語を指さした。
 Round-robin
 ああ、とウラジーミルは頷いた。
「この場は、ROUND−TABLE CONFERENCE(円卓会議)のこと」
「・・・そうなの!?」
パスカルは目を見張った。はーっとため息をついて、肩を落とした。
「英語って、むずかしいねえ」
そう言って唸る様子に、ウラジーミルはまたむずむずした。
「よせよせ、やめろ!」と心の声が叫ぶにも関わらず、ついつい我慢ができずに、また言ってしまった。
「そうか? 英語は世界でいちばん簡単な言語だとも言うがな」
さりげない口調で言いながらも、口に出したその瞬間に猛烈に後悔が始まっていた。
心の中で「バカかお前は!?」と自分を力いっぱい責め立てた。
しかし、もう遅い。
鉄壁のポーカーフェイスで心の動揺を上手く隠しつつ、戦々恐々としてパスカルの反応を伺った。
(お、怒るか? 怒るだろうな、さすがに・・・・)
すると、パスカルは意外なほどあっさりと頷いた。
「うん。かんたんだとおもうよ。でもね、ことばがどうしたって足りないんだ。たとえば、今のことばはROUND(丸い)とROBIN(駒鳥)でしょ? 『丸い』と『駒鳥』が、どうしてくっつくと『円卓会議』になるの? なんで?」
「確かに・・・」
何故と問われても、イディオム(慣用句)だから仕方がないのだが、ROUNDはともかく、ROBINは何の関係があるのかと、英国人の自分もなぜだろうと首をひねらずにはいられない。
(でも、とりあえず、怒ってない・・・よな? 怒ってないよな?)
落ち着かずにパスカルの反応を伺っている自分は一体全体どうしたんだと、そんなことも自覚しはじめたら余計ぐるぐるしてしまった。
パスカルは、新聞をじっと見つめた。
「もっとよめるようになりたいな」
そっともらされた、素直な言葉。
しかし、短い言葉の中に込められた、思いの熱さ――――ウラジーミルは、はっとした。
穏やかで、めったに感情を荒げたりしないパスカル。
感情をコントロールできるのは、彼の精神年齢の高さを現しているのだろう。
いや、もしかしたら、言葉が思うように操れないから口数が少ないのかもしれない。
それに、思ったことを自由にしゃべれないとしたら、かなりのストレスにちがいない。
「もっと読めるようになりたい」と言う言葉には、彼の秘められた思いが透けているようだった。
ラジーミルは自己嫌悪に陥った。
からかったり皮肉な言葉をかけている暇なんてなかった。
(もっとほかにすべきことがあるだろう! なんとかしてやりたい。なんとかできないか・・・?)
「あ、ある程度は、勉強してきたんだろう? クラスメイトとの会話はスムーズだし、授業にもちゃんとついてきているし?」
とりあえず言葉をつないでみる。
「まあね。せっかく英国にりゅうがくしたんだから、この5年間でじょうたつさせたいとおもっているよ」
「へえ。じゃあ、目標とかあるのか?」
何気なく振った話題に、パスカルは気負いなくするりと応えた。
「ケンブリッジ英検のCPE」
「・・・って、最上級レベルじゃないか!?」
ウラジーミルはヒュッと口笛を吹いた。
「そりゃあ強気だ」
ケンブリッジ英検は古い歴史を持つ英語運用能力テストのことである。
古い歴史を持ち、英語以外を母国語とする人々が就職や大学受験の際に英語力証明資格として広く用いられている。
CPEは最も高いレベルの試験で、生粋の英国人ですらパスできないこともあるといわれているほどである。
「ひょっとして、英国の大学受験を考えているのか?」
「ううん。多分、大学はフランスに戻ることになると思う」
「じゃあ、別にケンブリッジ英検でCPEレベルなんてとらなくてもいいんじゃないか?」
するとパスカルは、苦笑いして眼鏡のブリッジを軽く押し上げた。
「そうだよねえ。でも、もくひょうが高いとたいくつしないだろう?」
目標が高いと退屈しない―――強気な言葉に、思わず目を見張った。
(へえ、なかなかどうして、結構な野心家じゃないか。それとも、単なる馬鹿か?)
野心家か馬鹿かという二択問題は、すぐに「野心家」に軍配が上がった。
ふだんの授業態度を見ている限り、パスカルは論理的に物事を考えることのできる優秀な生徒だ。
しかし、穏やかそうな見掛けからは、そんな野心があるようにはとても想像がつかなかった。
ウラジーミルは、口元にうっすらと笑みを浮かべた。
(面白い。こいつに5年間つきあうのも面白いかもしれない)
隣の席に座っている、少しのほほんとした印象だが抜群の頭脳を持つ少年に、興味がむくむくと湧いてきた。
心を決めたウラジーミルは、まっすぐにパスカルの顔を見ながら尋ねた。
「怒っていないのか?」
「ん、なにを?」
「・・・・・・『英国に留学した意味はあるのか?』」
ことさらゆっくりと、過日の台詞を繰り返す。
パスカルは眼鏡の奥の目をしばたたき、やがて「ああ!」と小さく叫んだ。
どうやら思い出したようだ。
不機嫌になるか、怒り出すかと、パスカルの表情を注意深く見守ったウラジーミルは、次の瞬間度肝を抜かれた。
あろうことか、にっこりとわらったのだ。
「いいや。だって、ほんとうのことだもの」
「そ・・・そ、そうか? そうなのか? ええ!?」
ウラジーミルは混乱した。
たじたじとなって、聞き返すと、パスカルはにこにこと頷き返した。
「そうだよ。ぼくはかんしんしていたんだ。ウラジーミルって、みじかいことばでものごとのほんしつをズバリとあらわすのがうまいよね。かんさつりょくとぶんせきりょく、げんごりょくもないとできない。ひょうげんりょくが、すごいよ」
(ひ・・・表現力!?)
ウラジーミルは、ぽかんと口をあけてしまった。
今まで親や教師や周囲の大人からは可愛げがないとか生意気だとか散々叱られ、同級生からは冷たい・ひどい・言い過ぎ・思いやりがないなどと不評極まりなかったウラジーミルの物言いを「表現力がある」だとは! 
しかも、にっこり笑って、まるっきり邪気もない笑顔を見せてくれるだなんて・・・
ウラジーミルは、生まれて初めてのたうちまわりたいと切望した。
大声を上げて走り回りたい! 地面をごろごろと転げ回りたい! 
実際には絶対にやらないし、口にも顔にも出したりしないけれども。
ちょっとばかり顔が熱くなった気もするが、あくまでポーカーフェイスで(と、本人は思っている)、ウラジーミルはさりげなく提案した。
「し、新聞を読むって、語彙を増やすには効果的だというよ」
「うん? そうだね」
しかし、提案はさりげなさすぎて、相手に全く通じなかったらしい。
ウラジーミルは頭をかりかりと掻いて、もう一度切り出した。
「つまり、その・・・いっしょに読まないか? さ、さっきみたいに、わからない単語があったら、すぐに教えるから」
「え、いいのかい?」
パスカルの顔が輝いた。
でも、遠慮がちに少しだけ眉をよせて首をかしげている。
ウラジーミルは勢いよく首を縦にふった。
「新聞を読むのは習慣だから。全然負担じゃないから!」
「ありがとう。うれしいよ」
にっこり笑ったパスカルの顔がとても明るくて、ウラジーミルはぱっと目を伏せてしまった。
体温が急上昇して耳まで熱い。
せっかく褒められた表現力で何か気の利いたことを言わねばと、頭をフル回転して考えた。
「『英国に留学した意味があった』って、5年後には思わないとな」
そう言うと、パスカルは今度は少し真顔に戻って、ウラジーミルをまっすぐに見つめ返した。
ゆっくりと、肯いた。
「やってみるよ」

 
こうして、談話室で新聞を読む二人の日課が始まったのだった。


後日談
「わかったよ。ROUND-ROBINのROBINって」
 ある日、パスカルがにこにこしながら話しかけてきた。
「フランス語のRUBAN(リボン)から来ていたんだね。農民たちが国王に異議を申し立てるときに、申立書にリボンのように円形になるよう名前を書けば、誰が首謀者かわからなくなる。最近ではIT用語にも入っていて、サーバーの負荷分散のDNSラウンドロビン方式とか、データをグラフ化するロウンドロビンツールとかがあって・・・」
立て板に水式につらつらと挙げられる使用例を聞いて、ウラジーミルは思わず苦笑した。
「随分と上達したものだな」
 

 

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