お嬢様たちのお出かけ

(ユウリ、恨みますよ………!)
アンリは、天を仰ぎながら盛大にため息をついた。
早朝から緊張を強いられた胃はすでに危険領域警報発令中で、
手を当ててさすっても痛みは薄れない。
自分が今こんな羽目に陥っているきっかけは、
どう考えてもユウリの一言だったからだ。

 

 

 

クリスマス休暇にロワールのベルジュ邸に滞在したユウリは、
ベルジュ家の双子ともよく話をしていた。
というより、話し相手として二人がユウリを独占して離さなかったというべきか。

ユウリがロンドンの公立学校時代の話をしていたときのことだ。
「まぁっ、ユウリは一人で町に出かけたことがあるの!?」
マリエンヌとシャルロットは目を見張り、異口同音にたずねた。
「えっ………?」
あまりの驚きように、逆にびっくりしたユウリは、
「君たちはないの?」と尋ねかけ、はっとして口をつぐんだ。
この、天使のようなベルジュ家の箱入りお嬢様たちにとっては無理もない話だ。
うっかり一人で外を歩こうものなら、十秒とたたないうちに口説かれるか、
かどわかされるかのどちらかだろう。
外出するときには、ボディガードが山ほど付いてくるに違いない。
「う……うん。ぼくの家はハムステッドだから、
  地下鉄一本でロンドン中心部に出ることができるんだ。
  だから、土曜日には姉と美術館に行ったり、友だちとショッピングに行ったりしたよ。
  よく行ったのは―――――」
ロンドンにある美術館について語りはじめたユウリを見る双子の目が、
羨望のあまりキラキラと輝いている。
アンリは、にわかにむくむくと沸き起こった黒い雲が自分の方へ流れてくる幻覚を見た。
いつもの不思議な力が見せたものではない。
双子の兄として培ってきた、涙なくしては語れぬ経験の数々が見せた予知は、
これからやばいことが起こりそうだと警告している。
アンリは頭を抱えてしまった。
――そう、アンリの予知は百発百中。避けられないものなのであった。

案の定というべきか、やっぱりというべきか、ユウリの話を聞いた双子は、
自分たちもパリの街に「自分たちだけで」出かけたいと言い出した。
「お母様やお父様といっしょにでかけたことはありますけれど」
「自分たちの足でパリの街を歩きたいのですわ。」
「地下鉄に乗ったり」
「お店でお菓子を買ったり」
「美術館の切符も自分で買って」
「好きな作品を見て歩きたいの!」

その気持ちはアンリにもわからないでもない。
外出時には必ずボディガードや家庭教師がいっしょという生活は、
そろそろ窮屈に感じる年頃だ。
しかし、いくら「自分たちだけで」とはいっても、二人だけで行く力はないし、
両親に相談したら止められること間違いなしだ。
そこで必然的に、お忍び外出のパートナー兼保護者としてアンリが選ばれた。
アンリならパリの街には詳しいし、ボディガードほどうるさくないし、ピッタリの人材というわけだ。
もちろん、話を聞いたアンリは即、断った。
もしも万が一、事故にあったり怪我をしたり誘拐でもされたりしたら、とんでもない! 
しかし、二人そろって可愛らしく、時にはウソ泣きも加えて懇願され、
懇願され、懇願され続けたアンリは、胃に穴が開く寸前になって、
この事態から逃れるすべは、おねだりを受け入れる以外にないのだと覚悟を決めた。

 

いろいろとすったもんだしたあげく、念願の「お忍びでパリの街歩き」を実行する日がやってきた。
パリに着いた二人は、まず、ごくごく普通の若者らしい服装に着替えることにした。
マリエンヌはジーンズに丈が短めのダウンジャケット、頭にはニット帽を深めにかぶった。
シャルロットはジーンズにニットのロングカーディガンを合わせ、上からジャンパーを羽織る。
値段も高いものではなく、町を歩いても全く目立つものではない。
しかし、纏う者が天使のような美少女とあっては、そんな安っぽい服装が美しさを隠す役目は果たさない。
すらりとした立ち姿や優雅な立ち居振る舞いは何よりも二人が一般庶民ではないことを証言しているようなものだ。
変装用にかけた度のないメガネやサングラスも、かえって二人の可憐な魅力を増す小道具になっていた。
衣装を手配したアンリとしては、妹たちの可愛らしさに兄として嬉しくなる半面、
目立たなくしようというコンセプトが全く達成していないことに軽い失望感を味わっていた。
 落ち込むアンリを背に、二人はテンション高く、浮き浮きと地下鉄へと降りる階段をはずむように下りていった。
「ねえアンリ、切符はどうやって買うのかしら?」
「数字がいくつもあるけれど、どれを押せばいいの?」
パリの地下鉄の入り口で、双子はしきりに首をかしげている。
さすがに周囲を気にして小声になっているが、慣れない風情までは隠せない。
アンリはすばやく手を出してチケット販売機を操作した。
自分でやりたかったらしい双子が唇をとがらせて文句を言うが、いちいち聞いちゃいられない。
パリ歩きに出発して十分もたたないが、もうアンリの胃には黄色い信号が点滅しかけているのだ。

「地下鉄よ、地下鉄っ!」
「初めてよ、初めて〜! シモンお兄様も乗ったことないわよ、きっと。」
「そうよ! 私たちの方が先よね〜!」
後ろを歩きながら、長兄の地下鉄体験に関してはアンリも同じ感想をいだいた。
(本当にそうかもしれないな。)
パリの地下鉄は庶民の足だ。
あの兄が、こんな古びて狭い通路を通って地下鉄に乗ったことがあるとは、想像しようとしても想像しきれなかった。
余計な想像をしていたせいで、ふと気づくと前を歩いていた双子の姿が見えない。
ぎょっとしたアンリはあわててダッシュ! 角を曲がり、二人を追いかけて叫んだ。
「ちょっと待った!逆、逆!プラットホームが違うよ!」
双子は、きょとんとした顔で振り返った。

 

三人が最初に向かったのは、オルセー美術館だ。
古い駅舎を利用した白く大きな建物で、チケット売り場を過ぎるとブックショップがあり、
その先は中央の広場に向かって階段を下りるようになっている。
ガラス張りの天井から太陽光が降り注ぐ広場には、たくさんの彫刻が飾られていた。
「まあ、見て、動きがダイナミック!」
「躍動感がすばらしいわ〜!」
双子は、目を輝かせて美術品に見入った。
熱心に絵や彫刻を見つめるまなざしは真剣で、絵に魂を吸い取られるのではないかと危惧してしまうほどだ。
絵の中のヴィーナズのポーズを真似たシャルロットが、手を耳の後ろにあて、
腰をひねって「うっふん」のポーズをしているのを見て、大受けしたマリエンヌが手を叩いて笑っている。
モネのルーアン大聖堂の連作コーナーでは、同じ場所から何枚も描かれた絵を見比べ、
違いを発見しては興味深そうにうなずきあっていた。
楽しんでいる様子を見て、無理をしてでも連れてきてよかったかなと、アンリはちょっと思った。

 

「次は漫画専門店に行きたいわ。」
「日本の漫画が買いたいの。」
というわけで、次に向かったのはカルチェ・ラタン界隈の漫画専門店である。
このあたりは学生が多いせいか、書店が多い。
最近では漫画やアニメ、フィギュアの店も増えてきた。
店内に足を踏み入れた双子は、ぎょっとしたように足をすくませた。
無理もない。店内至る所を埋め尽くす漫画本やポスター、アメコミ・ヒーローの等身大フィギュア、
天井から釣り下がるキャラクターのバルーン―――初めて足を踏み入れた者にとっては、あまりにディープな世界だ。
しかし、新しい世界にも嬉々として飛び込んでいくのが若さの特権だろう。
片っ端から本を手に取り、あれもこれもおもしろい、まあすごい、きもちわるい、
信じられないなどとつぶやきながら本を物色していく。
選んだ本を持たされるのは当然アンリである。
(まあ・・・いいけどね、この程度だったら。荷物を持つくらいは気が楽だよ。)

あきらめモードに入ったアンリをよそに、双子は物色を続ける。
「日本のBD(ベーデー)だわ。」
(※バンド・デシネの略、フランスの漫画のこと)
「あら、よく見て。BDじゃなく、BLじゃなくって?」
「そうね、BLだわ。」
「BDとは違うのかしら?」
無邪気に会話しながら日本のBLコミックを開いた双子は、
ぽかんと口をあけたまま一瞬固まり、すごい勢いで本をバシッと閉じた。
なんだか、いけないものを見てしまったような気がする・・・。
周りをきょろきょろと見回すと、幸いこちらを注視している人はいない。
アンリも少し離れたところでぼーっと立っているだけだ。
マリエンヌは小声でシャルロットに話しかけた。
「顔が赤いわよ。」
「み、店の中が暑いからよ。」
二人は何食わぬ顔をしてBLコミックの棚から離れると、
フランスでもテレビ放映されている有名なキャラクターの登場するコミックを手にとった。
「おーい、お嬢さんたち・・・まだかな・・・?」
しばらくして、アンリに疲労のにじむ声で話しかけられ、とっさにシャルロットが答えた。
「あ、じゃあ、その、もう一回りだけさせてちょうだい。」
シャルロットが急いで向かった本棚には、先客がいた。
マリエンヌが、先ほどは中身を知らずに手にとったBLコミックを、少し離れたところからじっと見つめている。
いや、にらんでいるといってもいい形相だ。
後ろから肩をつんつんとつつくと、おもしろいくらいにびくっと飛び上がる。
肩をたたいたのがアンリではなくシャルロットだと知ると、マリエンヌはほっと安堵のため息をついた。
二人は、目と目で話し合った。こういうとき、双子の以心伝心能力は便利である。
(・・・・どうする?)
(・・・・買うの?)
(・・・・買えないわよね。)
(・・・・アンリに見られたら・・・)
ふたりは顔を見合わせ、ふーっとため息をついて肩を落とした。
しかし、すぐにマリエンヌがいいことを思いついたというように顔をあげた。
「あ、じゃあ、わたしがアンリの気を引いているから、その隙にシャルロットがレジに行くというのはどう?」
「いいわね。じゃあ連係プレーで行きましょう。」
マリエンヌはテレビアニメのコミックを手にアンリの元へと走り、にこやかに、かつ、おっとりと話し始めた。
そのすきにシャルロットは平積みされていたBLコミックをさっと掴み(バックナンバーももちろんゲット)、
レジへとダッシュした。
現金はアンリが持っているので、支払いは「こんなとき持っててよかった」なクレジットカードである。
店員は目を丸くした。
若者が多いこの店で、プラチナカードで支払う客は初めてだったのだ。
かくして、ベルジュ家には決して本棚には飾れない本が増えた。
お嬢様にも、秘密はある。これはアンリにも秘密。

 

ちょっと疲れたので、ケーキとお茶で一休みをしようと、次に向かったのはパティスリーである。
店内に入ると、双子は小さな歓声を上げた。
お嬢様だから、あまりはしたないリアクションは決してしないが、目の輝き方が美術館とは明らかに違う。
ショーケースの中身をさりげなく、しかし片端からきっちりチェックし、店内で食べるようにオーダーする。
「これとこれとこれとこれとこれをお願いします。」
「ええと、わたしはこれとこれとこれとこれとこれをお願いします。」
「………ちょっと待って! テイクアウトじゃないんだよね!?」
あせってストップをかけるアンリに向かい、双子はにっこりと上品にほほえみかけた。
「もちろんですわ。」
「ケ、ケーキを、十個も、誰が食べるの!?」
「いやですわ、ご自分のケーキはご自分でオーダーなさってね、お兄様。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
見ているだけで胸焼けしたアンリは、コーヒーだけをオーダーした。
女性にはお菓子用の別腹があること、そしてそれはかなり巨大であるらしいことを、この日アンリは学習した。

 

本好きな者は誰でも知っていることだが、買い物のとき本を買うのは最後にするものだ。
その理由が、今のアンリにはよくわかる。
(なぜなら、重いから。ずっしりくるから。疲れるから。)
それなのに、テンション高い双子が次に目指したのはパリの数箇所にある常設市場の中の一つだった。
通りの両側に出店が並び、野菜や肉、乳製品から化粧品、雑貨に洋服、
鍋や釜に靴、乾物にお菓子まで、さまざまな商品が並べられている。
まるでお祭りに来たみたいで、アンリも珍しい光景に目を奪われた。
スーパーマーケットとは、また違う趣がある。
幼い頃、母親と暮らしていた頃に、村に立った市の風景を思い起こさせるものあって、懐かしさも感じられた。
田舎の市とは異なり、パリの常設市場の商品は多彩で、はじめて市を訪れた双子には珍しいものばかりだった。
「ジャガイモって、いろいろな種類があるのね。」
「この野菜は何? 見たことないわ。」
焼き栗を売っている店員は、殻をむいた焼き栗をシャルロットに差し出してウィンクする。
にっこり笑って受け取り、早速口にしたシャルロットは
「おいしい!」
と、笑顔になった。
「この焼き栗、いただくわ。これで買える?」
シャルロットが差し出したのは五百ユーロ札。(約八万五千円)
「ちょっと待った! ごめんなさい、キャンセルします!」
あわててアンリが止めに入る。
「えー? どうして買っちゃだめなの?」

 

 

「店ごと買い占めるつもりかい!? 家に着くまで食べきれないよ。」
不服そうに唇を尖らせるシャルロットに、横からマリエンヌが声をかけた。
「ねえねえ、これ買っちゃった。」
遅かったかとマリエンヌに目を転じたアンリは、驚きのあまり下顎をカクンと落とした。
マリエンヌが両手いっぱいに抱えていたのは、黒くて干からびた紙のようなものだったのだ。
大きなビニール袋に、ぱんぱんに詰まっている。
「な・・・! 何それ!?」
アンリが恐る恐る指さしてたずねると、マリエンヌは得意そうに答えた。
「乾燥した『ワカメ』よ。ミソスープに入れるのですって。お店の人が教えてくれたわ。」
「まあ、日本のスープね!」
「そう。今度ユウリが来たら、ミソスープがふるまえるわよ!」
いい買い物をしたわ、褒めて褒めてと言わんばかりに得意そうなマリエンヌの顔を見て、
アンリは額に手をあててげっそりとつぶやいた。
「いったい何百人分あるの、その『バカメ』・・・」
「『ワ・カ・メ』!」

 

ロワールへの列車を待つ間、三人は駅近くのアメリカ資本のコーヒーチェーン店の二階で休むことにした。
通りに面したカフェのテラス席ではあまりに目立ちそうだったからだ。
ふかふかのソファにぐったりと身を投げ出したアンリは、
一刻も早く列車が来て、ロワールについて、なんとか家族にばれる前に家に入れたらと、ただそれだけを祈っていた。
ユウリと二人でパリで遊んだときは楽しかったのに、ユウリの発言のせいでこんな羽目に陥るとは…………。
決してユウリのせいではないとわかっているのだが、盛大にため息をつくのをとめられなかった。
赤信号の胃を労わるために、コーヒー店なのに豆乳ココアを頼んだくらいだ。
気力・体力の限界を感じてソファに沈没しているアンリに、
マリエンヌとシャルロットは天使の笑顔でねぎらいの声をかけた。
「本当に楽しかったわ。」
「今日はありがとう、お兄様。」
そして最後に、とどめの一撃を。
「またよろしくね!」

 

   ☆         ☆         ☆         ☆         ☆ 

 

どうも失礼しました!

仏英旅行記のオマケとして作ったミニ本から再録しました。
 

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