Countdown
大晦日の夜に

 おことわり

 これは、ユウリがセント・ラファエロ最後の冬休みをシモンの家ですごしたら・・・という設定で書かれたパラレル小説です。

 これを書いた2005年当時、ユウリはフランスで年越しするんだとばかり思い込んでいたものですから。

 いろいろつじつまは合っていませんが、どうぞご容赦ください。

 

 

 

 

 

 

 
 
 
 
 
 
 
 
ホテルの玄関から一歩外に出たとたん、冷気に全身を包まれた。
ユウリはぶるっと身ぶるいしてダウンジャケットの襟をきゅっと押さえた。
それから、毛糸の帽子に手をかけると耳まで隠れるように引き下ろした。
冷たい空気を吸い込むと、鼻の奥がつんと痛くなった。
(なんだか、大陸の方って寒さが違うような気がする。)
そんなことを思いながらゆっくりと足踏みしはじめたユウリの姿を見て、
短いレザーコートにジーンズ、首にマフラーというカジュアルな服装をしたシモンが心配を含んだ声で話しかけた。
「もっと厚着をしてこなくて大丈夫だったかい?」
「大丈夫。動けば寒く感じないと思う。」
「そう? じゃあ、行こうか。」
二人は並んで、賑わいはじめた町に繰り出していった。
      
十二月三十一日の夜、ユウリはシモンと二人でトゥールの町にいた。

トゥールは、ベルジュ家の邸宅から車で数十分のところにあるロワール地方の中心都市である。
セント・ラファエロ・パブリックスクール最後の冬休みに、

ユウリはかねてからの約束通りにシモンの家を訪れ、いっしょに休暇をすごすことにした。

ベルジュ家で迎えたクリスマスは、ふだんは忙しい家族が集まってすごす貴重な団欒のひとときだったが、

一家はユウリを家族の一員のように温かく迎えてくれた。

ベルジュ家では、クリスマスは身内だけで祝うが、三十一日には年越しのパーティを開き、多くの親戚や客を屋敷に迎える。

今までのパーティの様子についてユウリが尋ねると、シモンの妹たちは嬉しそうに話してくれた。
「その日は遅くまで起きていていいの。」
「楽団が来てダンスの演奏をするの。」
「みんなで一列になって踊ったりゲームしたりするのよ。」
「ねえユウリ、絶対にわたしと踊ってね。」
「あら、わたしともよ。」
美少女ふたりに両脇から取り合いをされて、ユウリはどんな顔をしていいやらわからなくなる。

思わずゆるんでしまいそうな顔を必死でひきしめていると、シモンが助け船を出した。
「ちょっといいかな?」
 誘われて廊下に出たユウリに、シモンは苦笑まじりに話しかける。
「いくつになっても甘えたがりで困ったものだよ。あれでは君も身が持つまい。」
「とんでもない。僕には妹も弟もいないから嬉しいよ。でも、まあ、たしかにちょっとあのパワーには・・・。」
そう笑って首をすくめたユウリに、シモンは「実は…」と前置きして提案をした。
「トゥールの町でカウントダウンするというプランはどう?」
 
 
サン・ジュリアン教会のわきを通り過ぎながら建物を見上げると、ライトアップされた教会は寒々とした夜空に光を放ち、

あたりを昼間のように明るくしていた。

ホテルから旧市街へと向かう道は次第に人が多くなり、話し声や歌や音楽が祭りのようなにぎやかさを感じさせる。
シモンと並んで歩いていたユウリも、日本の夏祭りや縁日に出かけるような浮き浮きした気分を味わっていた。

ふだんは静かな佇まいをみせる旧市街も、今日ばかりは飾り付けと人混みと音楽とでにぎわいをみせている。

両脇の建物の二〜三階部分には、通りを歩く人々の頭上にさしかかるように電飾が飾られ、きらびやかなアーチを形作っている。

店のショーウインドウにはさまざまに意匠をこらしたツリーやプレゼントやお菓子、リボンやクラッカーの紙吹雪などが飾り付けられている。
二人は店ごとのディスプレイを眺めて見つけたことを教えあったり、飾り付けのうまいところを指摘しあったりしながら歩いていった。
やがて目の前が開けたかと思うと、二人の前に華やかな劇場のような空間が現れた。
「わあ・・・・!」
ユウリは思わず目を見張ってしまった。
その広場は、周りが木骨組みの古くて背の高い家で囲まれ、まるで中世の町にタイムスリップしたかのような一角だった。

広場のあちこちにカラフルな天幕の屋台がたくさん建ち並び、いいにおいと湯気が立ち上っている。
「シモン、何か食べない?」
と、目を輝かせてたずねるユウリに、シモンも嬉しそうに答える。
「いいね。腹ごしらえといこう。」
そこで二人は屋台を端から見ていくことにした。
メニューは多彩で、栗やソーセージやドネルケバブを焼いている店もあれば、スープや甘いお菓子を出している店もあった。

食べ物ばかりではなく、土産物や縁起物、道化師のかぶるような派手な帽子や風船を売る店もあった。
ユウリは焼きたてであつあつのソーセージにかぶりつき、ここが寒い屋外だということを一瞬忘れそうになった。

その幸せそうな顔を見て、シモンはもう一度嬉しそうに笑った。ユウリはソーセージを飲み下すと、シモンに尋ねた。
「シモン、さっきから人の顔を見て笑っているけど、どうしたの? 何か言いたいことでも?」
「いや、よかったと思って。」
その答えに納得がいかずに首をかしげると、案の定シモンは説明を加えてくれた。
「正直いって、ちょっと不安だったんだよ。年越しパーティの方がよかったんじゃないかなって。

 双子にもかなり引き留められていたしね。」
 
そうなのだ。
ユウリとシモンがパーティに出ないと知ったときの双子の怒りはすさまじく、取りなすのにどれだけ苦労したことだろう。
「悪いが、今年はこうさせてもらう」
と、シモンは妹たちには毅然とした態度をとっていたが、母親と当主側近たちの説得には苦労していたようだった。
パーティという大事な社交の場を欠席するのも問題だが、なにより秋にベルジュ家当主が謎めいた症状で倒れたばかりである。

後継者であるシモンがぶらりと夜の町に出て多くの人混みの中ですごすなど危険すぎる、もってのほかだと、大人達はこぞって反対した。
しかし、意外なことに父親だけは賛成してくれたのだった。
「わたしの大事な息子は、自分の立場や責任については十分心得ているはずだ。そう育ててきたのだからね。」
そう言って全面的な信頼を表明されては、かえって冒険はできない。

シモンはガードやGPS付き携帯電話の手配、服装やホテルの場所選び、カウントダウンをする場所の下調べまで入念に手配してこの日を迎えた。

てきぱきと使用人に指示をする友人の姿を見て、ユウリは改めてシモンの置かれている立場の大変さを思わずにはいられなかった。
(ちょっと町へ出るだけなのに……こんなに大変だなんて息がつまるよね。)
パーティも、双子にとってはただ楽しいイベントなのかもしれないが、シモンにとっては気を遣う社交の場なのかもしれない。

生まれながらの貴公子は、社交など服を着るのと同じくらい気軽にさらりとできるのだろうけれど、

たまにはタキシードを脱いでTシャツで歩きたいと思うのは当然のことだろう。

シモンがTシャツで歩くときに、いっしょに自分が歩けたらいいなと、ユウリは思う。

この類い希な友人のためにできそうなことが、そのくらいしか思いつかないのは残念だけれど。
 

ややうつむいて目をふせたシモンを力付けるように、ユウリはほほえみかけた。
「こういうのも好きだよ。屋台が並んでいてお祭りみたいだ。屋台で食べ物を買って外で食べるのって楽しいよね。」
シモンは視線を上げてユウリの黒い瞳を見つめた。ユウリはその視線を受け止めながら、穏やかに続けた。
「正直言って、シャルロットやマリエンヌとのダンスにも未練はあったけど、今はシモンといっしょにいる方が楽しいよ。」
シモンは珍しく、少し困ったように、照れくさそうにほほえんだ。
「………ありがとう。」
 
 
広場の屋台でお腹を満たすと、二人はロワール川沿いの緑地へと向かった。
特設ステージが作られ、バンドがにぎやかな音楽を演奏している。

若者たちが群がり、ズンズンと地面から震動が伝わるような音楽に身をゆすりながら踊っている。

ユウリも足をとめ、はじめはリズムに合わせて軽く体を動かしていたが、次第に体の底から楽しさが沸き上がってきて動きが激しくなってきた。

あちこちで歓声があがり、爆竹がパンパンとはじける音が響き、あたりは熱気に包まれている。

ステージではバンドの演奏が盛り上がり、ヴォーカルがサビの部分を歌うと、観客たちも踊りながらいっしょに歌い出す。
シモンもユウリと同じように踊っていたが、キレのある動きは舞台で踊るダンサーのようだ。

ユウリを見て笑った顔は、まわりの若者たちのような楽しさに輝いていて、見ているユウリもますます踊りに熱が入っていった。
 
ひとしきり踊ってのどがかわいた二人は、飲み物のスタンドに駆け込んだ。

大きな鍋でホットワインが煮られている。赤

ワインの芳醇な香りとオレンジやハーブの爽やかな香りが鍋から立ち上っており、二人は誘われるようにホットワインを選んだ。
「カップに今年と来年の数字が書いてあるね。カウントダウン特製のカップなんだ!」
と、ユウリがワインのマグカップを見て感心したように言うと、シモンがカップを掲げて応じる。
「カップを店に返却すると、カップ代が戻ってくるよ。乾杯!」
「乾杯! でも返さないよ。記念に持って帰るんだ。」
ホットワインを一口含むと、喉から足先に向けて熱い塊が滑り落ちる。

アルコールの働きもあって、ユウリの顔は一気に赤くなる。
「はは・・・なんだか解凍された気分。」
と言うと、
「本当かい?」
と、シモンが右手の手袋をとり、ユウリの真っ赤になった耳に素手でふれる。
「踊ったのが効いたようだね。耳まで温かいよ。」
   
 
午後十一時をすぎると、ワインの瓶を片手に、もう一方の手にグラスをつかんだ若者たちのグループが さざめきながらロワール川にかかる橋に向かって歩いていくようになった。 たくさんのアーチが連なる白い石造りの橋の両端の歩道には、若者たちがあふれている。
今頃ワインが効いてきたのか、ユウリはふわふわと夢心地でシモンから半歩遅れて川沿いを歩いていた。

川沿いの遊歩道にもたくさんの人出があり、中には小さな子どもを連れた家族の姿も見られた。 
ユウリは、スキーウェアのように全身をすっぽり包む服を着た幼児が母親に手を引かれ、ちょこちょこと歩く姿に目を細めた。

顔だけしか表に出ていないので、まるでぬいぐるみが歩いているようで、なんとも可愛らしい。

すると、母親が急に立ち止まったせいで、その子が尻餅をついてしまった。

びっくりして泣き出した子をあわてて母親が抱きかかえる様子がとてもほほえましく、ユウリは立ち止まってしばらく眺めてしまった。
 
どれほどの間、眺めていたのだろうか。

ふと、ユウリは違和感を感じてみじろぎした。

それから、そばを歩いているはずの友人の姿が見えないことに気付いてぎょっとなった。
(しまった……! ワインのせいかな、ぼうっとしてしまった。)
あせって周りを必死に見回したが、人が多いせいで、いつもなら容易に見つかるシモンの目立った姿がなかなか見つからない。
(あせるな、落ち着け、落ちついてよく探すんだ。)
ユウリは自分に言い聞かせながら、人混みの中から必死にシモンの姿を探した。

二人がさっきまで向かっていた方向へ、ゆっくり歩き出す。
「シモン! シモーン!」
声を上げるが、周りのざわめきの中にむなしく消えていくだけだった。

ユウリの心に不安がそろそろと忍び寄る。そのとき、はっと思い出した。
(そうだ、携帯電話があったんだ!)
すぐにポケットから携帯を取り出し、最初に登録してあるシモンの携帯の番号を呼び出した。

ところが、電話を操作する電子音はするのに、何度ボタンを押してもつながらない。

携帯の画面をのぞきこんでみると、「圏外」であるというサインが表示されていた。
(うそ・・・! こんな街中なのに!?)
はーっとため息をつき、ユウリは携帯を再びしまいこんだ。
(大丈夫、いざとなれば、ホテルに戻ればいい。)
先ほどまで仮眠を取り、今夜も戻るはずのホテルの名前と場所はちゃんと覚えている。歩いてたどり着ける距離だ。
しかし、行き交う大勢の人の波の中に自分が探す顔がいつまでたっても見つからないという事実は、ユウリの心から次第に温かさを奪っていった。

不安が増してくると、つい弱気になってしまう。
ユウリは、子どもの頃にも迷子になったことがよくあったことを思い出し、ぞっとして思わず体を抱くように腕を回した。

幼い頃はあちらの世界に引かれるままに行ってしまったことがあったらしいが、成長するに従い「迷子」になることはなくなっていた。しかし、ここしばらくの間に死にかけたり気を失ったりして「迷って」いるときに、名前を呼んでこの世に引き戻してくれたのは、シモンだ。
(そんな人を失ってしまったらどうしよう………)
ひっきりなしに通り過ぎる人の中で、急にストンと一人きりの孤独と不安に落とされた気がして、ユウリは息を飲んだ。ドキドキと心臓が暴れ出す。
(落ち着け! いつまでもシモンに頼ってはだめだ。)
ユウリは目を閉じて、姿勢を正し、ゆっくりと腹式呼吸をして脈を整えようとした。
呼吸が落ちつくと、丹田に力を込め、改めてあたりをじっくりと冷静な目で見回しはじめた。
 すると、今まで気づかなかった視界の不思議さに目を留めることができた。
(ここは・・・・!?)
行きかう人も、足もとも、周りの建物も、トゥールの街であって、トゥールではない。

微妙に重ねられたもう一つの、別な世界に自分の足は立っていることがわかって、ユウリは背中に冷水を浴びせられたように体をこわばらせた。
(また・・・やってしまった?)
顔を跳ね上げて周囲を見回すが、()まで(・・)いた(・・)世界(・・)()全く(・・)違う(・・)ということを除いては、ごくごく普通の世界だった。

道ゆく人の表情も、きんと冷えた大気も、大晦日の浮き立つような雰囲気ですら変わらない。
しかし、ユウリにはこの世界は自分(・・)()世界(・・)()()ない(・・)ということが、なんとなく肌で感じられた。そして、何より
(この世界には、シモンがいない。シモンはいないんだ・・・・・・)
と思ったとき、胸の奥がつきんと痛んで目のあたりがじわじわと熱くなってくるのを感じた。

意識を保ったまま違う世界に足を踏み入れてしまったことへの、身の内から震えが走るような恐怖とは違い、

シモンがいない世界というのは、光が失われ漆黒の闇に沈んでしまったような心地になった。
(いや、きっとシモンも僕を捜してくれているはずだ。あきらめずに、シモンの声に耳を傾けてみよう。

 耳を澄ませば、何か聞こえてくるかも知れない。聞くんだ。)
そんなふうに必死に自分にいいきかせて、耳を澄ませた。心を落ち着けて、感覚をオープンにして・・・・・・


どれほど探しただろうか。
ユウリは探し疲れて遊歩道に立っている街灯の一本にもたれてひと息ついた。

少し離れたところにある橋の上では、若者たちの喧噪やステージの演奏がますます盛り上がっていた。

集中することにつかれたので、ユウリはそれらを聞くとはなしに聞いていた。
すると、ばらばらだった喧噪の中から一定のリズムで何かを叫ぶ声が聞こえ始めた。

新年のカウントダウンが始まったのだ。
ユウリは、はっとして顔を上げた。
(カウントダウン! シモンといっしょにするはずだったのに・・・!)
急に悔しさと哀しみが胸の中にあふれてきて、ユウリはジャケットの胸をぎゅっと鷲掴みにした。
(ああ・・・会えなかった。間に合わなかったよ、シモン・・・このまま会えなかったらどうしよう・・)
 
そのときだった。
「ユウリ・・・」
と彼の名を呼ぶ懐かしい声が耳にとびこんできた。

はっとして顔をはね上げ、耳を澄ませた。ほんの小さな声だったが・・・
「ユウリ・・・!」
間違いない、シモンの声だ!
ユウリははじかれたようにきょろきょろとあたりを見回した。

夜の闇の中に明るく浮かび上がる川辺の遊歩道を行き交う人ごみの中に、あの姿が見えないかと必死に目をこらす。

声のする方向に足を踏み出すと、街路灯の光の輪がぼやけて、一瞬暗闇の中に入り込んだ。

でも、まだ声は聞こえる。
「ユウリ・・・!」
その声を耳にしただけでせつなくなり、ユウリは恐れることなく暗闇の中へ飛び込んでいった。
 
恐ろしい勢いで誰かがユウリの体にぶつかってきた。

(え?!)と思う間もなく、その人物はユウリの体をぎゅっと痛いほどに抱きしめ、
「ユウリ……よかった……無事でよかった……」
と、耳元で絞り出すような声でつぶやいた。その声は紛れもなく友人のもので――――
「シモン!」
ユウリは反射的にシモンの背中に手を回していた。

シモンはしがみついていた体を少し起こして、ユウリの顔を間近で見つめる。

何かをしゃべったようだが、急に沸き上がったすさまじい歓声に、その声はかきけされた。
シモンの背後がぱっと昼間のように明るくなった。
花火だ。
新年の訪れに花火が派手な音とともに打ち上げられ、寒々とした空が金色の光に包み込まれたのだ。

遠くと近くの教会の鐘の音も代わる代わる、重なるように響いてくる。
ユウリが見上げるシモンは、まるで天使が神々しい光とともに舞い降りたかのような、強烈な存在だった。

この、圧倒的な力と輝き・・・。
 
衝撃が去ると、花火の光に照らされたシモンの表情が、ユウリの目と心を射ぬいた。

走り回って探したのだろうか、寒さにもかかわらず、うっすらと汗をかいている。

心配で凍っていた顔が安堵して溶けたかのように少し苦しそうにゆがんでいる。

いつでも理知的な光を宿している水色の瞳は、他のものなど何も映らないというように、今はただまっすぐにユウリを見据えていた。
シモンの体に手を回して見上げたまま、ユウリは凍ったように立ちすくんでいた。
(シモン、シモン、シモン・・・・・・・・・!!)
ぎゅうっと抱きついたシモンの体を感じる。
シモンは今、ここにいる。
夜の花火の中に、僕の手の中に・・・・・・
ユウリはシモンの瞳をのぞき込んで、鼻の奥がつんとなるのを感じた。それは寒さのせいだけではない。 
花火のドォンという音が、ユウリの体に響いてきた。
それが新年を祝うためのものだということに気づいて、ユウリははっと気がついた。

とどまることなく過ぎてゆく時の流れの中に、自分が今いるのだということを。

新しい年を迎えた今、自分はシモンといっしょにいる。
では、来年は? 来年はどうなのだろう?
「シモン・・・」
思わず漏れてしまったユウリのつぶやきに首をかしげ、喧噪の中からユウリの声を拾おうと耳を近づけるシモン。

マフラーはどこかにとばされたのだろうか、汗をかいたシモンの熱い首筋に、思わずユウリはびくりと身をすくませた。

その熱が、彼が生きてここにいることの証のように思われた。
過ぎた時は、二度と戻らない。
この川岸の冷気も爆竹の火薬のにおいも屋台も、もう二度と自分には還らないだろう。
でも、そんなものは何もいらないとユウリは思った。
(僕が欲しいのは、手放せないのは・・・・・・) 
さまざまな思いが波のようにどっと押し寄せて、ユウリの口はふるえ、次の言葉を紡ぐことができない。
「ユウリ?」
気づかわしげに名前を呼ぶシモンの声、そっと頬にかかるシモンの手・・・
「ユウリ!?」
シモンの声が険しくなる。
「え?」
「え、じゃない。どうしたんだい?」
シモンがにじんだ涙をぬぐってくれたので、ユウリは初めて自分が泣いていたことに気づいた。

涙が流れるのを止めもせず、ユウリはシモンの目をまっすぐに見つめ、やわらかくほほえみかけた。
すると、シモンは親指の腹でやさしくユウリの涙をふき取った。ユウリはその手をつかむと、手のひらにさっと小さなキスをした。
そしてにっこりと微笑むと、シモンの頬にキスをして言った。
「新年おめでとう!」
 
   Bonne Année! 
 
 
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