トラファルガー・スクエア  23:59

 

 

 

 
建物から出て通りへと足を踏み出したアシュレイの前髪を、ビルの間を吹き抜けてきた風がゆらした。
(温かいロンドンも、大晦日にはさすがに冷える)
ちらりとそんなことを思うと、アシュレイは黒いコートの襟をかき寄せ、夜のロンドンの通りを音もなく歩き始めた。
 
12月31日の夜、アシュレイはロンドンの某所で、とある情報提供者と会っていた。

自分に仕える者を使って情報収集をすることもできるのだが、中にはアシュレイ本人でないと教えられないという提供者もいる。

彼としても新しい提供者の人となりを見極めるにはよい機会だと考え、直接足を運んでみることにした。
案の定、はじめはもったいぶってなかなか情報をよこさなかったが、アシュレイの軽い揺さぶりにあえなく降参し、

著名な生命工学博士の家にまつわる興味深い情報を得ることが出来た。
(小物だ。今後もいいように使ってやろう。)
 
今宵の成果を頭の中で整理し終えると、アシュレイは迷いの無い足取りで帰路についた。

黒いコートの裾を大きく割って、長い足が前に繰り出される。
 
ロンドンの冬は、海流の関係で緯度が高いわりには寒くない。

人々は寒さで家に引きこもることもなく、街歩きを楽しんでいる。
アシュレイは腕時計を見た。午後11時半を軽く回ったところ。
この時間の割には人ごみが多いと思い、すぐに、トラファルガースクエアでのカウントダウンに向かうのかと思い至った。
大晦日のロンドンには、人々がカウントダウンをするために集まる場所が数箇所あるが、

最も人気の高いのがウェストミンスターにあるトラファルガースクエアでのそれだ。
時には公共の交通機関が止まるほどの混雑振りを見せるという広場の方にアシュレイが足を向けたのは、ほんの気まぐれ、

あるいはちょっとしたへそ曲がりな思いつきからだった。実際の混雑ぶりを、自分の目で見ておくのも一興かという・・・
 
スクエア近くになると、人また人の塊で前が見渡せないほどだった。

広場の中央には高さが50メートルもあるネルソン提督の記念柱が立ち、その台座には4頭の巨大な獅子がうずくまっている。
肩を組んで酒の瓶を振りかざしている若者やしっかりと身を寄せ合う恋人同士、女性にさかんに声をかけているナンパ目的の者、

獅子によじ登ってポーズをとる少年と、それを写真に撮る観光客など、

浮かれ騒ぐ者たちの狂態を冷たく睥睨する古代ギリシアの神のようなネルソン提督の像をちらりと見上げると、アシュレイはばかにしたように鼻をならした。
(カレンダーなんてものは、天体の運行を元にして人間が勝手に時を区切った便宜的な単位だ。

 それがリセットされて0にもどるだけのことが、なんでそんなにめでたいのかね。

 昨日と今日、今日と明日、それほど変わり映えのあるはずはない。

 違う暦を用いるものにとっては、何の意味もなさない日だというのに)
 
気まぐれな思いつきで時間を無駄にしたと舌打ちし、アシュレイがきびすを返そうとしたとき、カウントダウンが始まった。

腕時計の示す時刻は11時59分。

広場の一角ではじまったカウントダウンの掛け声が波紋のように広がり、広場中の声が一つになっていく。
 
興奮したカウントの声に重なるようにして、その声は静かにアシュレイの中に降りてきた。
 
「だからこそ、気持ちの上で区切りをつけるために祝うのかもしれませんね。」
 
アシュレイは足を止めて、喧騒と人ごみの中に立ち尽くした。
さきほどまでのアシュレイの非難に対して反論する、東洋の血を引いた後輩の姿が意識の中に浮かび上がったのだ。
反論といってもけんか腰ではなく、かといってアシュレイにおもねることもなく、

淡々と水のように自然に自分の考えを述べる少年は、なおも続ける。
 
「人の一生には限りがあるから、一日一日を大切にするために、
 あえて区切りを設けたのかもしれません。
 一年を終え、新しい一年を迎えられることを祝ったのではないでしょうか。」
 
カウントが0になった。
アシュレイは広場をぐるりと見渡した。
広場を埋め尽くす人々の歓声、夜空を彩る花火、振りまかれるシャンパン、ラジカセから流れる音楽、キ

スをかわす恋人達、踊る若者、獅子から飛び降りる少年達・・・
お祭り騒ぎで酔っ払った若者たちには、新年を迎える敬虔な気持ちなどはみじんも感じられない。
しかし、どの顔も笑みを浮かべ、嬉しそうに輝いている。たしかに、生の喜びに満ちているようだ。
 
アシュレイは、自分の心が少し軽くなっていることに、苦笑いをした。
(ま、あいつならば言いそうなことではあるな。)
 
そういえば、あいつは今年の冬をフランスのお貴族様とすごすようだなと思い出して、アシュレイは口元の笑みをわずかにゆがめた。
 
(今ごろは大邸宅の暖炉の前で年越しパーティでもやっているころか。

 着飾った良家のご令嬢たちに囲まれてヘビーな社交に音を上げているかもしれないな。)
 
残念なことにそれはアンリの仕事だったのだが、流石のアシュレイにもそこまでは知るよしもなかった。
 
(せいぜい今のうちに自称『親友』のお貴族様と蜜月をすごしておくことだな。

年が明けたら、あいつの周辺もだいぶ騒がしくなるだろうから。そのときがきたら・・・)
 
アシュレイは今度こそきびすを返し、広場を背に歩き出した。
真っ赤な顔をした酔っ払いの大男が、
「A Happy New Year!」
と無邪気な笑顔でアシュレイに抱きついてキスをしようと近づいてくるのを鮮やかにひらりと飛びのいてかわし、

すかさず首の後ろに手刀を打つ。相手の男は何も言わずにくたくたと地面にくず折れてしまった。
 
(・・・自分のものをとられるのはごめんだ。)
 
アシュレイは倒れる男を顧みることもなく、再び夜の闇の中へと消えていった。
































ここまでお読みいただきありがとうございました。

どうぞよいお年をお迎えください。




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